土砂降り盂蘭盆会   週刊江戸三百藩サンプル頂戴

東京の水がめ(ダム)が枯れようと、水源豊富で人口もそこそこで、まったく過密とはいえない当遠州地区の人間としてはそう切羽詰まった感覚は無いわけで、それはあくまでも他人事。

もし、そのために雨乞いでもされてそのとばっちりで、あのような昨日の土砂降りを味合わされたのだったら地団太を踏むところですが、しかし「天」の達しは人間の人智を超えたものですからそこは何とか堪えるところ。仕方ない・・・ですね。

 

相良の民生委員のグループはたしか九州方面に慰安研修旅行に行っていると聞きますが、そちらの雨は相良どころの騒ぎではなかったような気がします。そして地震も追い打ちをかけていました。

あいかわらず九州方面のお天気の様子は酷いものがあって気の毒に感じます。

 

昨日は今年の盂蘭盆会法要。

朝から酷い雨で一瞬「中止は?」という選択肢も頭をよぎりました。こういう場合、以前は直前にカラッと雨がやんでしまうなどということが度々あって、案外「いつも同様に収まるのでは・・」という超楽観と全3回あるので「参拝は各自おまかせ」ということでその判断を皆さんに委ねることにしました。

まぁガラガラの盂蘭盆会の本堂は忍びないところもありますがこれは致し方ないこと。

 

ところが開式時間になってびっくり。

普段とほとんど変わらない顔ぶれが揃っているではありませんか。

「今日はおぞい日になっちゃって・・・」とのご挨拶が耳に残ります。「おぞい」は「悪い」の当地の方言で「おぞましい」からでしょう・・・。

中学の時など子供たちは「おぞい」を人をおちょくる時、または他人の服や恰好、顔そして性格を指して日常的に使用していましたね。

この地方では大人になると「お天気」の時だけそれを使うようです。

 

その無茶苦茶に「おぞい日」、法要終了後にたくさんの参拝者を感激しながら見送るにあたって、あらためて心を痛めました。

見ると靴が雨の吹き込みでびしょ濡れでした。みなさんのハチャメチャのずぶ濡れの後ろ姿をお見送りしたのですが、心から頭が下がる思い、感謝した次第です。初盆のご家族など揃って喪服での参列でしたが雨の法事は機械的に土足で階段を上がってもらうという指示があればと後悔した次第です。

申し訳ございませんでした。

 

さて法要後のお話しは「マインドフルネス」とその実践でした。WHO推奨の健康定義から勝手に私が健康長寿の基本と書き換えて冒頭お話しを開始。

「マインドフルネス」は欧米では当たり前の瞑想クリニックで、健康維持に必須とまでいわれているカンタンな習慣なのですが一番遅れているのがこの日本だといわれています。

かといって聞きなれないその言葉の解説となぜそれが必要かというところまで解説しての実践ですから、私の久し振りの「お話し」の時間としては結構時間をかけてしまいました。

 

ポイントはここでは断片的に記しますが、人の脳の狩猟時代からの古いところ「扁桃体」とそこからの指令で発せられる「コルチゾール」に破壊されてしまう「海馬」の説明から「メタ認知」「気づき」「俯瞰」による「今の私」への意識集中の概略を触れさせていただきました。それぞれググっていただければと思います。

 

また仏教では三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)は嫌うのですが、「愚痴」については脳科学からしてむしろ悪くはないと解説。画像①の3の「サポートを得る」につながりますからね。

 

特にストレスは「瞋恚」が元に発生(瞋恚は貪欲の中から生まれ、欲望が思うように―コントロール―ならないところから不安-恐怖-怒りとなる)しここで「怒」の語を記しそして私の好きな「恕」を解説させていただきました。

「恕」についてその読みを皆さんに振りましたが反応はなかったような・・クイズではありませんので早々に私から「ゆるし」と読み「おもいやり」の意を告げ、字を分解すれば「如来の心」または「(私の)心の如し―ありのまま」と展開すると堂内ざわめきがおこりました。

 

その流れによって最後はイメージトレーニングをしたのですがそこで重要になるポイントが「メタ認知-気づき」と「呼吸」と「今の私」です。

考えるにNHKの「キラーストレス」という番組のゲストにいま流行りの予備校講師のあの人が招かれていましたが番組の最後であの方のかつての流行り文句「今でしょ」で締めていました。そのゲストが居たのは実はコレを言わせたかったのだと合点がいきましたね。

 

私は「過去」はおかげさまの意でそれをベースとして「心に置くことは大事だがいたずらに引きずるものではない」し、「未来」という語は「殆ど考える必要はないのだ」と言い放ってしまいました。

「明るい未来」などといわれるような詭弁に騙されないことが肝要とも。なぜならば未来などアテにならないほどの「無常」がわが身であるからということでしょうか。

 

今の私の心を、私そのものを大切に見つめて一所懸命それ1本で90歳、100歳まで健康寿命を延ばしましょうと。

 

尚最後に「メディテーション」とは念仏の「念」であり、その語は欧米のそのようなブームがどうだと言われる以前から日本古来よりある文化であって決して目新しいものではなく、また「念」を分解すれば「今」の私の「心」であるということを如実に語っているということをお話ししました。

今後の継続と課題です。

 

尚弥勒菩薩の画像はメディテーションの姿勢の解説で使用しました。いわゆる「背筋を伸ばして」の方法を強要せず、「楽な姿勢」と弥勒の「半跏思惟」の表情を推奨。とくに印となる右手の形は「OKサイン」で「おまかせの図」と勝手に説明、人差し指の差す場所は呼吸の感ずる場所、即ち上唇付近であると・・・

鼻呼吸での意識集中点の解説に使用しました。

 

最後の画像は先般お知らせした「週刊江戸三百藩の41号のサンプル版の表紙。昨日出版社より送られてきましたのでそのお礼です。

 

「今がわかる」ともあります。

嬉しくなってドアップにしましたが、なによりも田沼意次と

七曜紋が表紙を飾っていたことに感激しました。

中身はサラリとした感がありましたが、拙寺も小さいながら画像と数行の解説付きで紹介されていました。

ありがとうございました。

 

7/12発売と聞いています。知り合いにその件を話すと既に数名が購入を決定したとのこと。

日没法要の際にもその宣伝をしておきました。

 

雑誌を見てあらためて思い直すことは「萩間川」名称はどうも腑に落ちないですね。以前(といっても大昔)は相良川と読んでいましたので。たしか「相楽川」の字でしたね。またその文献を見かけたらアップしたいと思います。

元に戻したとしても萩間の人は怒りはしないと思いますがね。