勝竜寺城はその名のとおりお寺の寺域が前身

「オイいつまで生きてるつもりだよ!」って吉本新喜劇の突っ込みのよう。現実、場は笑いまで起きていました。

関西系のお笑いであるならば90歳の年配者が「老後が心配」と言ったとしてもその突っ込みとしては普通に笑うところなのですが、コレを言いだしたのはあの政治家(大臣殿)というところが笑いものです。

 

ほとんど「失笑」「苦笑」レベルですが、人の命のことを国の経済状況に照らして財務大臣が(国のために)「早く死んでくれ」という意を憚らず吐き散らす事とそれを笑って許すアホな同調者に対しても「笑うところ」かも知れません。

 

そのボスの「3本の矢」とやらの件、最近全くといいほど聞こえなくなりましたが、そろそろ白旗があがりそうとの噂もちらほら。

 

超低金利維持にもかかわらず(笛吹けど)誰も踊らず、元の黙阿弥、円高株安状態に戻ってしまったようです。

インフレ率2%のお約束も御託を並べて「ダメでしたごめんなさい」になるような気がしますね。

そういった焦燥感からあんな新喜劇のような無茶振りが出てくるのでしょう。

次はどんな八つ当たりが聞こえてくるのか、まぁ楽しみではあります。

 

黒ちゃんと財務省のあの御方のリップサービス、為替介入話や「躊躇なく」の金融緩和の声はもはや眉に唾するレベル。

アメリカからは(国の為替介入=ドル買いは)「いけませんよ!」と先回りして釘を刺されてしまっていますからね。

 

クロちゃんの「空前」(黒田バズーカ)という語で囃された最盛期の口をとんがらかしたビックな態度の記者会見とはうって変わって今はへらへら感満載で緩みっぱなしの態度にも見えます。「なんか、やる気ナシ」の風、漂ってますね。

 

日本の政治というかそれに関わる人たちを見て思う事が多くありますが「権力を持つと人とはこんなになっちゃうの?」とか

「政治家にも要領の悪い奴、イイ奴色々いる」とか「概して自分大好き、自己愛溢れる人々」等々です。

・・・ストレスが増しますのでその手の話は離れましょう。

 

昨日は午前は史跡研究会の会合(といっても雑談会)に午後からの世話人会がありましたので今年一番の晴天を「暑い!といいながら」何か体を動かすという時間は持てませんでした。

何かしたいのにできないというのも辛いですね。

 

昨晩のNHK番組「キラーストレス」にもありましたが週3回30分の早歩きの継続だけで健康効果が保てるとのこと。

今の山歩きは熊の出没が恐ろしい時節で躊躇しますが、そろそろ墓場歩きの禁断症状が出て来て、いてもたってもいられなくなる衝動に駆られています。

 

昨日の世話人会冒頭、正信偈を皆さんと唱和しますが、マズイ事に途中で発声ができなくなってしまいました。

少々気張りすぎたという感もありますが、喉(声)の不調は本当に困ります。

ストレスかな???とも思いつつ、まぁ午前中もずっとおしゃべりし続けていたからだと、自分なりにその理由を並べて、「たまたま」、「次は大丈夫」とあまり危機感はありません。

そして導師ナシ声無しの部分があったわけですが、実は後ろで皆さんの一所懸命の声が聞こえてきてそこに新鮮な安堵感がありました。

また「喉は大事にね」と声を掛けられてそういうのがまた嬉しかったですね。

 

さて、古いお墓との出あいはどちらも楽しくて心休まる私の最高の道楽です。

山城や峠系の墓地は熊出没が頻発して無理レベルですので、街の中の知らないお寺の知らないお墓を狙うのもまた可。それであっても意外と興味深く「ほぉ」という出あいが待っていますよ。

 

画像は先日来記している勝竜寺城の大元となる現在の勝竜寺。

真言宗のお寺で地名も京都府長岡京市勝竜寺になります。

地図を見てお分かりの通り、二つの川が合流していますが、やはりこういう場所には物流の拠点となって市が立ち人が集まります。寺はその市の主催者となって大きな利権を得ることになり、役所的施設も併設され多くの人々の往来がなされたことが推測できます。

たまたまそういった地で発生する利潤を得ようと支配を模索する者が出て、またその水路に囲まれた要害性を見て城砦として発達したのがこの寺ペースの城だったと思われます。

 

詳しくは寺の由緒書を参照いただければと思いますが、寺周辺の雑草の中の古き墓石を眺めれば安らぎを得ますね。

本日はその中で私が初めて見たエピタフ(墓標)を紹介いたします。

境内にあった上部が欠けた宝篋印塔や石仏のレリーフ(画像①)も悪くありませんが、着目は最後画像の江戸期の墓石です。

それには「六親眷属」とあります。

これは「ろくしんけんぞく」と読み「父母兄弟妻子」(+親戚で一族の意)を言いますね。

 

当流では白骨の御文(5帖-16)でお馴染み、

「六親眷属あつまりてなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず」であまりにも有名な言葉。

墓石はあきらかに真宗系のものではありませんが、墓碑として今の「先祖代々」よりもずっと味のある語だと思います。

「父母兄弟妻子」を思う気持ち、「愛別離苦」の無常の試練はどんな人であってもそれこそ不変です。

その命の長短について木っ端役人風情(これは役職にあらず)に言われたくないですね。

 

おせっかいながらその手の発言をする方は「まず自分が先に死ぬこと、消える事」が大切です。

自分が長生きしてしまったら言葉に信ぴょう性が無いですから。命と経済を天秤にかけること、その思想の浅薄さが垣間見れますね。その時・・・今一度、次は爆笑しようかと思います。

 

まぁ命の長い短いの評価は他者が触れるべきものではありませんね。

年齢がいくつになったとしてもその子どもは親の死を嘆き寄り添うものです。