信長の天下布武の驕りは腹心明智の二心がために潰えました(本願寺関係者としてはハッピーな報せ)。
その「驕」が「油断」に繋がり自滅となった事象は歴史の教訓です。
一旦は滅亡を覚悟しその終の宴を催して間もなくその朗報に歓喜した当流の先達について一昨日、昨日と記しました。
昨日の法要の前に入った北海道の小学2年生の「奇跡的朗報」の件、驚きとハッピーエンドの終結は日本中を歓喜させたでしょうね。世界でもこの奇跡について報道されていたようですが、他人事ではありますが、思わず足も口も軽くなってしまいました。
それはそれは彼の少年に幸運は味方していましたが、大方の推測では口には出さないものの「絶望」か「事件」かの2点に絞られていたところでしょう。
私の最近の法要後のお話の傾向は「心」についてです。
勿論当流で「心」を語れば「一心一向」や「至誠心・・三心」ということになるでしょうが、お話のポイントはそもそも私には難しいことを説こうとする能力がありませんので、とにかく心の持って生き方の基本は「利他」ベースの「はからい」(思いやり)の推奨ということになりますが「驕りによるはからいある心は往々にして裏返しになる」風のオチに持っていくことになります。
例としてあげるのは今、「心が無い」弁明で一気にブレーク、名のりをあげた東京都知事殿をチラッとでも挙げていくのが常道でしょう。ネタとしてはみっともなさすぎますのであくまでもちょい出しでサラっとが肝心。
一週間の放浪をさせた父親の「仕置き」に関しては私もかつてあの手の状況に似たことを子供たちに強いていますので、まったくもって同情しています。ただあのお父さんは我が子の機転によって助けられたことは事実です。
今回の件について感じた事は
①子に仕置きしたつもりが結果仕置きされたのは父だった。
②「灯台もと暗し」自衛隊からたくさんの捜索隊が出ていましたが自衛隊の宿舎に一週間居たという事実。
私たちの「はからい」というものが機能せず、むしろ逆方向に動くということのいい例でした。
それにあと2点。
私たちは1食抜いただけで「腹が減って死にそう」とボヤキますが、1週間を水のみでつなぐことができるという事実。
戦国期、城の包囲方が籠城の「水の手を切る」ことを一義に考えていたことを聞きますが、水分摂取がいかに生命維持に大切なことかをあらためて知らされました。
余計なことですがいずれあの父も子もバラエティ番組に引っ張りだこになるのかも知れません・・・
画像①②は「至誠心」(観無量寿経から)の扁額。
真宗本廟東本願寺二十四代「法主→門首」の大谷光暢の号「愚郊」の文字が見えます。
印刷したものに落款印を押していますが、記しされている言葉は大切なこと。
③画像は先日お知らせした水盤の再調整の図。
すべての水と沈殿物を「良かれと思って」清掃したら・・・水漏れが甚だしくて用をなさないため、再び水を抜き切って防水セメントを底部に施工しました。
沈殿物が穴を微妙に塞いでいたところに「余計なことをした感」はありましたが・・・。
昨日昼過ぎに一瞬降った雨が溜まりましたが今のところ漏水はないようです。「上手」を思っても水は漏れるもの。
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