淀駅入り口千本通 納所 (のうそ)は 納品所?

京都船岡山辺りから南に延びる「千本通」については何度か拙ブログにて記しました。

この道の南に突き当たる場所といえば「納所」(のうそ)です。

旧の京阪国道、納所交差点までですから意外と長い道のりになります(場所はここ)。

 

現在は埋め立てられてその名とのギャップを思いますが伏見指月城の南側の宇治川と奈良方面から注ぐ木津川の合流した辺りに湖をなした「巨椋池」がありました。

勿論秀吉は伏見城の機能としてその海運物流と関所的機能をも持たせていたと思います。

その巨椋池の摂津側、さらに桂川が合流する地点の中州の地名が納所です。

 

読みは「のうそ」。古そうな呼び名が残っていますが、意は勿論読んだ通り、「おさめどころ」です。要は主に摂津方向からの品物を陸揚げした場所ということでしょう。

殊に御所方面を意識した納品集積所という感覚で、さらに奈良方面へ巨椋池から木津方向へと向かう便なども当然に設定されていたことでしょう。

御所方向といえば千本通。

こちら船卸しした品物を陸路北上させるルートの始発点でもあったのが納所でした。

 

起源は古く平安遷都とともにその立地の利点をアピールしていったことでしょう。

その「納所」には品物だけではなく、日本海から瀬戸内経由で入った大陸系外交官の上陸地でもありました。

古来はきっと多くの渡来人の上陸の地を兼ねていたかも知れません。私たちのご先祖様はこちらを通過したともいえますね。

余談ですが、今の日本人の壮大な島国混血の流れの中、渡来系の血脈を外して考えるワケにはいけません。

 

淀城公園の石垣前に建つ石柱に「唐人雁木址」とありました。

「とうじんがんぎ」でここでいう「唐人」とは朝鮮通信使のこと。ちなみに私が育った小田原の祖母たちの世代が連発していたその「お唐人」とは赤ん坊のことを指していました。

「なにをぐずぐず言っているのかサッパリわからない」という意味ですね。元は中国人町の人ということです(ブログ既報)。

 

「雁木」は船着場のステップのことで船と陸(おか)の間にあって物や人をスムースに移動させるための通路のこと。

広く浮き桟橋のようなものまでその名を使用したかと思います。看板を参照していただければいいのですがその「雁木」のあった場所がその「納所」でした。

千本通に入ってスグ「唐人雁木旧跡」の石柱が立っていますがこちらですね。

 

納所交差点のど真ん中にある焼き鳥屋さんはランチタイムに入りました④⑤画像。⑤の突き当りに淀駅が見えます。⑥は千本通入口。左側米屋さんの先に石柱が見えます。

日本人の殆どのDNAはこの道から・・・と言ったら言い過ぎでしょうか。