山崎あたりで八幡といえば男山 鳩ケ峰

天王山と3つの川を挟み込むようにある山が男山。

標高143mと天王山よりもさらに小振りで別名を「鳩ケ峰」といいます。吉田兼好お馴染みの「仁和寺の法師」が大恥をかいた地ですね(場所はここ)。

その段のおわりに

「すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり」

(少々のことにも道案内がほしいね)との締めがありました。

要は「知らないということはおそろしい」ということですが、この件はまるで我ら親子の天王山への道中不案内(ナビ入力ミス)の間抜け話を言っている様にも。

道案内があったとしてもダメな時はダメなのが「人間というもの」と兼好さんに言ってやりたいくらいです。

 

徒然草には仁和寺の法師のバカっ話については他にも記されていましたが、私はどちらの失策も笑っていられませんね。

まあ2つめの方は酒宴で酔っぱらったうえにハメを外しての事で、それに関しては私においてはあり得ませんが、その他の何事にもまた何時でも「素面で外しまくる」お調子者のようですし、なべて人というものは往々にして錯誤し自ら墓穴を掘るというのが習性ですから。

 

やはり八幡参拝の件は何より「徒歩(かち)よりまうでけり」でその大変さは私たちの比較になりません。

仁和寺から石清水八幡までの距離は直線で約20㎞で帰路のことを考えれば「山頂の存在」について想像する気にもならないのも無理はありませんね。

その手の失敗は私もつきものですが、そのような時は「また行く機会をいただいた」と踏ん切りがつけられるのは、山の麓から八幡の駐車場まであっという間に駆けあがることができる自動車があるからです。

 

鳩ケ峰の鳩とは八幡神社のつきもので神のおつかいだからでしょうか、鎌倉八幡の鳩サブレ―を思い出します。

京都南西、摂津との境界にあって比叡山の北東、「鬼門」と対で「裏鬼門」として京都盆地の守護社として崇敬を集めました。

戦国期には各勢力がその要害性から天王山と対で陣城として兵卒を伏せさせていたこともあったことでしょう。

明治以前までは神仏習合の神宮寺でしたが明治政府(というか長州藩?)の発案で強行した廃仏毀釈によって神宮一本化されましたが、今の形態はたかだか150年程度ということです。

 

サミットをお伊勢さんにこだわって開催する山口県出身のソーリさんですが、そのお伊勢さんとこちらの石清水八幡とペアで二所宗廟(にしょそうびょう)といって皇室が重んじる神社でもありました。

それにしてもあのサミットのおかげで、伊勢道の混雑は半端ないですね。京都行に名神高速を迂回することはつらいものがあります。伊勢道に慣れてしまいました。

 

何をイイとこ見せたいのか連日伊勢に向かう道路を穿らせて結果連日の慢性的大渋滞を惹起させています。

はやいとこその会議とやらを終わらせてほしいのですが、当方期日前に京都ツアーが控えていてすこぶる嫌な感じがします。

 

尊王派の伊勢神宮崇敬の喧伝はわからないこともありませんが今は「攘夷」ではないところが変わっているようですね。

まぁお相手によってはその攘夷論をあてる場合もあるようです

が。

 

本日は男山の遠景を。私は赤い丸印の駐車場に車を停めて散策しましたが、その日は天気はいいものの中州で野焼きをする人がいて、煙たいは服は臭くなるは画像はもやってで腹立つは・・・最悪でした。「だれか注意しろ」と思うものの火をかけている場所は川岸のさらに向こうですからね。

ちなみに相良の拙寺境内でそんなことをやらかしたら瞬く間に通報されてものの5分で消防署と市役所の担当がすっ飛んできますよ。

 

この山は私はどうしても神社としてではなく、城砦としての眼で捉えてしまいます。その川の中州からの画像ですが、天然の堀としてはうってつけですね。西側の山の周囲は住宅がびっしりで殆ど住宅地と化しています。その住宅地をナビの示す通り縫うように頂上を目指せば駐車場に到着できました。

 

また画像①の航空図にある川の名称の羅列からもかなりのややこしさを演出していますね。実際にこの付近、天王山側大山崎で天下分け目の戦いが起こりました。

③画像左が男山、右が天王山。⑥~⓼が北側から見た男山。

⓼に中州の公園駐車場が見えます。

⑨~⑪がその山の北側の男山展望台から見た京都市内。

鬼門の方角、比叡山が見えます⑩。京都タワーも。

最後の2枚が谷崎潤一郎文学碑。中高の時代に手に取った程度のもので高尚な文学に印象に残っていない「残念な自分」がありますね。

 

煙たささえなければゆっくりしたい楽しそうな場所です。

まったく京都と大阪の境界とは思えない最高の自然環境です。