収まりそうもない九州の地震、前代未聞のよう。
人智を超えた計り知れぬ自然の驚異を感じます。人が決めた安全の指針とやら、耐震工事の信頼などとうに喪失しているところ。
震源域東西に鎮座する原発の地下に「活断層はない」「直下型が来ない」などという勝手な推測などは「一か八か的放言」ととれてしまうところです。
政府等は「ないない」と仰られる原発直下型、いわゆるピンポイントでその直下を襲う地震によって、先般あったような上下1メートルの地殻のズレがあった場合のシミュレーションなどはないのでしょうね。
要は「いたずらに国民に恐怖心を煽る」からだと言い訳するでしょうが、それを知らせることが「政」の役目だと思います。
先般テロに見舞われたベルギーでは、原発100㎞圏内の住民に対して、重大な事故が起きた場合に備えてヨウ素剤をあらかじめ配布する方針を決めたそうです。
ヨウ素剤は甲状腺の被ばくを防ぐ効果があるものです。
牧之原市でもそれを配布するということを聞いたことがありますが、あくまで事故後でしょうね。
ベルギーの件、「あらかじめ」というところが、国民への責任のあらわれです。
万が一何かが起こった場合のことを想定してのことで、これをいわゆる危機管理体制の確立というのでしょうね。
ところが我が国のスタンスはいつも「想定外」で済まそうとしているところが見えています。そのあとは責任転嫁がお決まりのコース。
とりあえずの時間稼ぎでしかありませんが、本当に国民の命を守ろうという意思があるのなら、「とりあえずはヨウ素剤くらいは配布しろ!!」と言いたいですね。
「絶対に安全です」というのなら東京湾に原発をバンバン建設すればいいし、廃棄物は国会議事堂の地下にでも穴を掘って埋めれば私は「とりあえず」その安全とやらを信じてあげます。
ゲスな記者風に問い詰めれば「東電さんはホントは危険だと思ってるから福島に建設したんでしょぉ~?」
さて私の祖父釋祐匡(十三代)は地震について本当に敏感でした。
印象に残るのはその際への過度で俊敏、通常ではあり得ないような動きです。
殆ど褌一丁の裸同然のスタイルであっても、脱兎のごとく家から下駄を突っかけて飛び出していました。
子供心に①大人のクセに怯えすぎ②自分だけ助かろうとしているという見苦しさと、それを見届け地震が止むのを家中で見守った者たちで祖父を罵倒していたことを思い出します。
今それを考えるに、拙寺の戦慄の苦境に立たされた、安政大地震(嘉永七 1854)の庫裏の崩落の伝承を聞いていたことから由来するものだと思うようになりました。
地震の時の拙寺の住職は十代祐賢(寛政九年 1797生まれ)で、十三代目の私の祖父祐匡の曾祖父ですね。
ちなみに祖父の祖父が小島蕉園が「義誉」と命名した十一代釋祐曜です。
1859生まれの十二代祐闡が祖父の父(私の曾祖父)ですが、明治三十四年の拙寺本堂前の画像を紹介します。
その年の11月28日とありますので、報恩講の最終日、総代との集合写真ですね。
私の祖父祐匡(十三代)3歳とその父十二代祐闡42歳の図。
祖父祐匡(十三代)は生まれた時には彼の祖父である十一代釋祐曜は既に亡くなっていますので、父である十二代祐闡から十代と十一代の体験した「壮絶」を聞かされて育てられたということを想像したのです。
「地震が来たら家が崩れるのでまずは外へ飛び出ろ」「そして、次は津波が来るので山に逃げろ」。それは「他者の事を顧みず、とにかく自分の命を守るための行動を心がけよ」ということなのでしょう。
一部の檀家様以外は無意味かもしれませんが、登場人物の名を記します。以前昭和33年の写真を紹介しましたが同じ場所になります。
よく見ると本堂階段に乗っている列と下駄を履いて立つ列がありますのでそれを上段下段として記します。
上段左から
1植田富蔵 2十二代祐闡 3小山竹蔵 4布施眞(新)介
下段左から
1藤田 2三須 3十三代祐匡 4山﨑重蔵 5小山和作 6山﨑義平
おそらく写真提供者は下段1藤田か2三須のどちらかだと思いますが藤田家は数件の檀家さんがあって特定不可。
またに「三須」に関してはまったく不明です。
③画像は布施書店発行とあります。本堂後ろにそびえたつ松の大木は拙寺代々の墓域にあって父は鷹が留まった姿を度々見たと言っていました。私の子供の頃の記憶にはありますが私が気が付いた頃には伐採されていました。4~5年前に墓地を改葬しましたが、そのころまでは根っこの部分が残っていました。
手前の石柱は今の門前にあるものだと思います。
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小山昭治 (土曜日, 30 4月 2016 08:49)
私はこの写真を見たことがありません。
竹蔵は大平薬局より新家した小山紙店の初代です。
竹蔵の書いた覚え書きのようなものが仏壇から出てきて
小まめさがわかりました。
法事に招いた人の名前や御馳走などが書いてありました。
一度写真を見たいものです。
今井一光 (土曜日, 30 4月 2016 09:25)
ありがとうございます。
115年前の画像ですが、「お宝」の何たるかを知ります。
多くの檀家さんに支えられてきた寺の存在です。
これに「未来永劫」を願うのは私含め皆の願いですが、仏教的教えの
「いつかは滅ぶ」「無常」の考えを重ねてみればなおご先祖様を
いとおしく感じます。