復習です。幾度か記した憶えのある「会者定離」の語。
仏教世界で人の生まれ出てから始まる「四苦八苦」という苦しみの連続のうち最初の四苦の「生老病死」+展開する四つの苦しみにあります。
除夜の鐘を打つ回数がなぜか108回の理由として「四苦八苦」の「苦」を「九」と語呂合わせして「四×九+八×九だからだ」などという説がありますが、コレはただの偶然の一致でしょうね。まぁ、私はその「108」のそもそもの意味は知りません。
若者に人気のSCの母体が「東急」だから「109」と名付けるが如く、適当な意味しかないのでは?・・・と決めつけて拙寺では108回にこだわっていませんね。そのあたりも何度か記しているところでした。
そのことわざにもなっている「四苦八苦」の誤りやすいのはこの意図しているところ「四つの代表的な苦しみに付随する四つの苦しみがある」ことで、後ろの「八苦」は先頭の「四苦」にすでにその付属の苦しみが合算されての数字であるということです。
よって「4+8=12」ではなく「4+4=8」が正解でした。
前の「四苦」(1~4)は「生老病死」。
では「+4の苦」(5~8)といえば・・・
5 愛別離苦 6 怨憎会苦 7 求不得苦 8 五蘊盛苦
です。
その 「愛別離苦」が標記「会者定離」と同意ですね。
この「会者定離」は実は別の4字熟語と一緒に使われることが多いのですが、それはそもそもその語が8字並んで伝わってきたからです。
「盛者必滅」との並びです。
この語は蓮如さんの御文「二帖-七」に出てきますね。
少々長めの御文ですが、私はこの御文を回忌の多い法要の最後に拝読させていただくことが多いです。
私が気になるのはこの「盛者必滅」の「盛者」の読みで、これは息子にも指摘されたことがあります。
『「じょうしゃ」と読んでいるが「しょうじゃ」の間違いではないの?』ですね。
なるほど聞いている方は「盛者」など見えていませんからね。当然といえば当然でしょう。
おそらく世間様に流布している「生者必滅会者定離」あるいは「生者必衰会者定離」と変化した、「しょうじゃ」か「せいじゃ」が正しいというベースがあるのでしょうね。
いずれにしろ言わんとしている事は同様ですので、私としては御文のとおり「盛者 じょうしゃ」読みにこだわっています。
ちなみに御文「二帖-七」の「盛者」には仮名が振ってありますが「ショウシャ」と濁っていません。
これはありがちな振り仮名のクセでして濁音の点が打たれていないことなどは結構あることです。
画像内「五戒」を「コカイ」、「後生」を「コショウ」、「定離」を「チョウリ」と記してありますね。
話が飛びますが「誰」という字は今はだれでも濁って「だれ」と使います。
時代が遡るとそれは書面でも会話でも「たれ」が基本ですね。
結論はまぁ「わかりゃあ いじゃん」というところです。
先日の大河では信繁が「たれ」とそれを発するに濁らなかった?ように聞こえました。演出も無茶なワリにこだわりを垣間見たような気がしました。
時代劇ではよくありますねこういうセリフ・・・
「たれかある」です。
近習、「さぶらうもの」への声掛けですが側近たちはいつも耳をそばだてて主人の近くに神経ピリピリで「居た」(はべる)のでした。
先日夏日の境内。恒例ハイビスカスにブーゲーンの図。
本堂も植物たちも私も、いつかは消滅または別れを見なくてはなりませが、私は彼らの滅びは目にしたくないですね。
何を考えても生きている限りキリがありません。
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