平日に関しては雑用と趣味三昧、自由勝手に過ごさせていただいている私ですがこと土日祭日に関しては法要が集中してまずは動きがとれないというのが常。
さすがに最近は「GWは家族サービス」という家庭も多くなってその時節は意外と時間はいただいていますが、厳冬期があけて3月~5月の週末といえば法事予定が並びます。
私が拙寺に参った当初は午前・午後の2回/日というスケジュールもかなりこなしていましたが、この頃は余程の事が無い限り無理はしないようにしています。
理由は体力的な「限界感」です。それによって土日の午前中にまんべんなくスケジュールが入るようになっています。
「疲れるから」という風にとられてしまいますと「怠惰でロクでなし感」が匂いますので自己弁護しますが、法事とそれに付き物の「お斉」(おとき=お食事)の1セットを午前午後と2回やることは相当体にシビれるのです。
冬であっても汗が出るほどの発声のお勤めですが法事そのものは何とかこなすことができても、直後にお呼ばれするお斉×2回が相当体にこたえるようになってしまいました。
どこかのブログでも記しましたが、これまで2度ほど「同じ会場で同じ食事」という機会がありました。
一般的には滅多にないような大御馳走を「日に2回」とは「何という贅沢」とお叱りを受けそうですが・・・。
私がそういう場で一層気を遣うというか、心理的に追い詰められるのは施主先方御一同が「口数が少なく、いたって静か」という場合です。場が凍り付いているという感じでしょうか。
あまり知りもしない坊さんが隣に座っていては、うまい酒もまずくなることはこちらもわかりますが、「無口で淡々で仏頂面」の方というのには困ります。
初対面の方や事前情報はまったくなしの中、縁者の顔役や御長老といえる方が私の隣席となりますが、まず私よりは年上です。
配慮しつつ、会話をこちらから探すことになって今度は冷や汗が出るほどになってしまいます。
まあ一方的にべらべらとしゃべりまくってその場を繕いますが・・・
また、午前中1セットなら許容範囲ですが、最近では喉の調子が困憊劣化し、2セット目の法事の品質が落ちるという点もありますね。
本日はたまたま2回の法事を入れてありますが、両方ともお斉が無いことが事前にわかっています。
よって午後、お腹パンパンで喉擦れまくりで発声困難という状況にはないと思います。
さて、昨日は午前の法事のあとの件。
当日になってみなくてはそこのところ(法事が終わったあと)、当方では把握できません。
まず前回の法事でのその有無から予想をしますが、その家は前回お斉にお呼ばれしていました。
ただし回忌が増えると参列者を絞って「うちわだけ」という家が最近の主流になっていて「食事会無し」という法要も増えつつありますので何ともいえません。
そういうことで当日は「静岡午後2時」の予定を入れておいて、お斉に招待を受けた場合はそちらをあきらめればイイと気軽に考えていました。
すると法事終了後、施主のご挨拶の際、その「うちわだけ」を告げられました。
それならば、ということでそそくさと着替えて静岡へ向かったのでした。
標記、「静岡地域史研究会」(会長小和田哲男先生)の例会が開催され、それも非会員参加OKとの情報を得ていました。
この例会への参加飛び入りは2度目となりますが、2度とも会長のお話つきです。
非常に有意義な午後を過ごさせていただきました。25名程度の参加でしたが、「参加自由」とは言われても大抵の皆さんは遠慮されているのでしょうね。
私は図々しさ満点で赴いて、最前列の特等席に座し先生の前座の方の研究発表にズケズケと質問までしたほどです。
しかし一同、地域史研究者といえども、何かしらの書籍を執筆しているようなそのスジの猛者ばかり。
会長が「ご指摘ください」と投げかけるような場で、やはり私のそこに居る「場違い感」を大いに抱きました。
ただし私はこういう雰囲気はまったく懲りませんね。機会があればまたうかがわせていただきます。
毎月第4土曜日に開催されています。
それなら正会員として4000円/年の会費で入会すれば・・・と思いましたが、どうしても土曜の午後はスケジュール的に厳しいところがあります。
早いところ住職を退いてこちらに顔を出せる身になりたいのですが、まだまだ息子の事情(いろいろ)で無理のようです。
さて、小和田先生の資料にもありましたが、日本史上に登場し、江戸幕府内に大名・旗本等としてあった「家」について記された文書に「寛政重修諸家譜」(かんせいちょうしゅうしょかふ)があります。
要は各家の出自代々家系図を記して幕内上層部身分限定で閲覧して歴史前例婚姻関係を調査したのだと思います。
幕府編纂が寛政(1789~1801)になされたということ、「寛永諸家系図伝」という家光時代に記された(信ぴょう性疑義指摘個所多々?)ものの「続編」であるということ、そもそも各家「自己申告」がベースであるということですね。
昨日も「その手の疑い」についての指摘がありましたが、あげられてきた記述書面の誤記や転記単純ミス、毛筆古文書ならではの誤った記載の疑いが各所に見られるとのこと。
スケールとしては1114氏、2132家、全1530巻と膨大な資料です。
小和田先生は「井伊家」についての講演(レジュメ③)。
そして「寛政重修諸家譜」(かんせいちょうしゅうしょかふ)の井伊家の段のコピーが添付資料にありました。
「寛政重修諸家譜」はパソコンから閲覧(近代デジタルライブラリー)できるようになっていますのでリンク(コマ番号564/617)させておきます。一瞬戸惑いますが使い方はカンタンです。
面白いのは女性の場合はすべて「女子」(画像④)としかないですね。
名前はあったはずですが、当時「女」はどうでもよかったという扱いを表わしています。表に出てくることがあり得ない時代だったのでした。
当然に来年の大河ドラマ「直虎」の「次郎法師」(同資料コマ番号565/617 直政の右隣二人目 画像④)の幼少時代が描かれるでしょうが、「何かテキトーな名をつける」ことになるでしょうと。歴史上伝わっていないので仕方ありません。
①の書籍は配布された資料。参加費は100円ですが殆どタダのようなものですね。
静岡文化財団の書籍「湖(あわうみ)の雄 井伊氏」の配布は思いがけないことでうれしいいただきものでした。
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