世の「浅薄系の短慮?の意見」に標記、「お寺にAEDは笑止」というような声を耳にしたことがあります。
AEDは略して「自動体外式除細動器」。
電気ショックを行って「心室細動」という心臓停止の原因となる「心臓自身が細かく震える」状況、いわゆる不整脈を正常に戻そうとする装置です。
よってそれ以外の心停止に対しては意味がありません。
しかし案外とその「心室細動」に陥る件、少なくないのです。
一見難しい判断をしなくてはならないように見受けられますが、それに関しては全くこのAEDなる機械に任せておけばOKなのです。人の差配は殆ど無用ですね。
昏倒した人の心臓の状態をAEDが判断して、自動的に電気ショックが必要かどうかを教えてくれます。
不要な場合は勿論そのまま「119」を待てばいいだけですね。
ちなみに拙寺導入のAEDはケースの蓋を開けるだけで大音声で親切に指示してくれます。
順序立ててセッティング-判定-ショック オンです。
追加の電気ショックも約2分程度で判定してくれます。
さて「寺にAEDは笑止!」という方向に思考が向かうのは
おそらく
①お笑いネタ②真正の単細胞の御仁、のどちらかでしょうね。
そういう方は寺が死者のみのため、亡くなった方だけの追善供養にあるとのかなり屈折したお考えなのでしょう。
ただし、そのような葬式仏教の風潮を作り上げた責任は私たち既成の宗教者の怠慢であったわけなのですが・・・。
上記②真正の・・・の方は当波津区の役員さんの中にもいらっしゃったようです。
私がAEDの導入を検討するにあたって牧之原市に支援を打診した際、「区の方へ」と指示された挙句の末の回答が「檀家に買ってもらえ!!」だったことをかなり前のブログで紹介していたと思います。
まぁそれを仰った御自身や家族の方がそういう状況に陥ることは「あり得ない」という自信が心のどこかにあるのか、区費積み立て金が膨大に膨れ上がっているという噂がある中、そんな「とるに足らないもの」を浪費することはできないというお考えなのか、どうせ自分とは関係ない寺の私物になるのだろうからなのか・・・
「檀家に買ってもらえ!!」の真意は不明です。
私はその際、深くは詮索しませんでしたが、区の役員とはいったい何?と呆れ返ったものでした。
当時波津区の区長さんはたまたま拙寺檀家さんでしたから、逆に強く推奨できなかったこともあったのかもしれません。
話を元に戻せば、昏倒した患者を前にして絶対に必要なことは「自分が動く」こと。現場の「主役になろう!」ということです。
まずは一番に119、これは必定。そしてAEDの手配ですね。
人数がいれば手分けができます。
前にも記しましたが牧之原市は救急車の到着時間は平均10分。心肺停止から3分が勝負です。それまでの10分間を放置するなどは論外ですね。
たとえ救命できたとしても後遺症が重篤となってしまいます。
心肺停止が疑われる昏倒した人が発生した場合、AED到着まで何をしたらいいか記せば・・・
1 フローリングなど堅い床の上に仰向けに寝かしてOK。
枕や布団の用意は不要ということですね。
患者をつい布団やクッション、ソファーに寝かしてあげよう
とする傾向がありますが心肺蘇生の効果を相殺してしまい
ます。また枕は気道確保を阻害するおそれがあります。
2 ひたすら心肺蘇生をします。乳首と乳首の胸の間を強く、早
く胸骨の圧迫をします。これは慣れが肝心ですから講習参
加を。私が沖縄のビーチに居た時辺りでは「胸骨の骨折」
についてケアするというのが主流でしたが、今は「骨折させ
てもイイ」というのが時流です。とにかく命を助けること
が主眼になっています。
心肺蘇生の講習はまず消防署で行っていますので最寄りの
所轄消防署に問い合わせを。
3 AED電気ショックで蘇生しない場合もAEDから「電気ショッ
クは不要です」と指示があっても救急到着までAEDの
パットを貼ったままにしておきます。
4 もしお手すきの方が周囲にいたならば、昔ながらのマウス
トゥーマウスを行えば尚可。現在は胸骨圧迫が適切に行
えていることを前提にこれを主体的に行うようなガイドは
していないよう。
財団全国AEDマップに登録しました(サイト内地図をドラッグ、スクロール、拡大)。
ざっと周囲に設置されているAEDの場所が記されていますが、皆さんもご自宅周辺の設置場所をご確認ください。
拙寺周囲にも意外に多くの設置場所がありますが、よくチェックしてみると夜間対応ができるのは拙寺くらいのもののよう。
昼間であっても曜日によってはガッチリ鍵が施錠されている場所も。
登録の際、定休日や開業時間帯を問う項目がありましたが拙寺は「365日いつでも可」としました。但し書きとして「時折留守にすることもある」にしましたが。
寺の夜間は100%誰かが居ますが、昼間はどこかしら出かけていることがありますからね。
何事もタイミングですが拙寺は「夜間に強い」がウリですね。
お呼びがないことが一番ですが、いつでもその時を想定して覚悟して生活するようにします。
近隣檀家さんでしたら住まいを承知していますのでできるだけこちらからお届けにあがりたいと思います。
それまでは諦めることなく上記1~4の対応をお願いします。
夜間対応ができるという意味も含めて地域住民のためにもなることと思って手を挙げたという感覚だったのですが、あの言葉にはまったく無理解を感じました。
祭りの時に妙に張りきる区の役員さんのイメージとかぶりましたが、あのような言葉も「しょうがねぇなぁ」と思っているところです。寺のあるべき姿を淡々と目指していくだけですね。
区のどなたかのご指導の通り、このたびは「檀家さんに」用意していただきました。
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