週間で「コレは」と決めて視聴する大河ドラマ、当初より私の趣味にあう時代とあって気合は少々入っていましたが、やはり「奥の墓道氏」が「あの人の脚本は・・・」と危惧していた通り、徐々にそのクセが鼻に付くようになってきました。
おどけすぎ、今風で調子に乗りすぎた女性出演者の演出もそうですが、各所違和感ある台詞回しも首を傾げたくなるようなところ随所。
昨日の石川数正の出奔についての談を見て、そろそろ離脱してもいいかな・・・程度まで小生意気は下落、どうでもいいようになってきました。ホームドラマ化した大河ドラマは苦痛になってきたというところです。
それでイイ、という方がおられればそれも可。ただし歴史というある程度周知の部分に過度な演出がされて歪曲されると嫌らしさに変質するということも。程度の問題ですね。
数正が家康を離れたところを、歴史ドラマにありがちな「カタリとあっさり感」ではなく少々念入りに描いていました。
これは、あの家康の生涯で戦を通してではなく精神的にダメージを受け、内外から見た一つの「汚点」のような事件です。
番組主役が真田信繁ですのでその先を見越した伏線なのでしょうが、これまでの「聡明な家康」ではなく、結構「無能振り」を引っ張り出そうといういう意図でしょうね。全体がその感じで通っています。秀吉が初登場でしたがワンパターン化したお茶らけぶりでした。
また数正出奔に際しての家康のセリフに「?マーク」。
家康のボヤキ、「窮地に落とされた !」と聞こえましたが、そんな時、家康自身の口からそんな表現が出てくるものか、そんな言葉を吐くものか考えてしまいました。私はそんな言葉が出てきません。またあれだけ「口語使い」のセリフ回しが溢れているというのに・・・かなり違和感がありました。「台本書いたの誰? 誰か指摘してやれよ!」です。
また、数正の大ボヤキシーンの違和感。
彼の出奔についての理由はいまだ不明で日本史上「謎」といわれる事件です。
それをだらだらとねちねちした口調で小僧のような短慮を感じる演出で語っていました。
それが何と人質として大坂へ向かっている信繁に遭遇した際というセッティング。
「真田の策略にのせられた」と当たり散らし、逆に信繁に説得されてしまうなどかなりのおバカ振りをも感じ取れるシーン。
ちなみにこのボヤキシーンを天正十六年(1588)とすれば信繁18歳で石川数正が55歳。そして家康が45歳で秀吉が51歳です。
55歳の石川数正が18の小僧、信繁に向かってぎゃぁぎゃあとだらしない文句をたれた挙句、逆に小学生を諭すような「正論」をぶつけられて黙らされてしまうシーンは思わず溜息がでてしまいました。
まあ、主役は信繁だから「三河武士のおバカ」は描くところなのかも知れませんが。また、これから家康が本当に彼に手を焼くこととなる大坂の陣の「真田丸」への「誘引」としてより一層真田を大きく描いていく必要があったのでしょう。
演出の件でいいますと、史実とされる大坂城入城の際の信繁の風体を伝える記述「髪の毛は抜け落ち上下の歯も無く」の老け込んだ48歳をどう描いてくれるのか楽しみではあります。
画像は摂州心眼寺。
真田丸の別称「偃月城」の名が見えます。偃月(えんげつ)とは半月形を意する語です。
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