単独台地船岡山は古来から要衝の地 「妙見」

昨晩10時半前に電話が鳴り響きました。

檀家さんから「NHK(Eテレ)の100分で名著、歎異抄が始まりましたよ」と。4月は全4回「歎異抄」を紐解くそうです。

全く存知していませんでしたのでうれしいお知らせでもありましたし、放送を見ながら阿弥陀さんの力?にあらためて感謝しました。

 

放送は毎週月曜日/午後10:25~10:50 

<再放送>水曜日/午前5:30~5:55

         午後0:00~0:25  

                  見逃した方も是非に !

 

さて朝方は愚息の方向音痴には閉口しました。

先般彼の新居の近く、歩いて2分のバス停、近くて喜んでいた堀川通の「一条戻り橋・清明神社前」に停まるバスは彼の学校方向に向うものはありませんでした。

通常は自転車通学15分の道のりですが、雨天の場合にと一応はバス利用をと指示していましたので。

 

そのバス停が利用不可ということが分かって、目的地と合致する路線バスが停車するバス停を当方で探索し、そのバス停の位置をメールで送信しました。詳しく記せば「今出川大宮」バス停です。まぁ子供からすればおせっかいな父親でしょうが、「注意欠落」を代々遺伝する当家の血筋の傾向を熟知しているが故の対策でもあります。

 

通りの名の羅列では「元誓願寺通を突っ切って今出川通へ」上るわけですが(実はもっと効率的に走る路線があとちょっと歩けばあったそうです)、私は彼に「出たとこ北へ。今出川通まであがれ」という説明をしました。

すると折り返してきたすっとんきょなメールの質問が「北ってどっち?」でした。

だいたい1年も京都に居て、方角が分からないというのは何ともお寒くなるようなバカで呆れ果ててしまいました。

私の持論ですが社会人になって絶対使用しないであろう因数分解-数学などはテキトーなスタンスでイイにしろ、地理や歴史、理科的自然に触れる事は「是非とも」と考えている私ですので、まだまだ幼いにしろ、彼の現状のザマはがっかり至極でした。

 

昨日記した建勲神社のある船岡山は京都盆地の平たん地にあって、周囲どちらの山から見てもわかるランドマークになっています。船のカタチに似ているからそう呼ばれたといいます。

特に、ビルなどのコンクリート系に囲まれた京都市内にあってその緑色の「島」や「四角形の緑地」京都御所はハッキリと確認することができますね。

 

その船岡山の建勲神社の南側に妙見神社という小振りの社があります②。南面しているわけですが、その「妙見」とは・・・

「妙(たえ)なる見識」・・・「優れた眼力」のような感じでしょうか。洛中を北の要衝から望む立場ですね。

コレは中国的思想(道教)が流入してからがその発祥で「北極星(北辰)信仰」=「天帝」からのものです。

またそれを「玄武」とも言いますがこれはキトラ・高松塚古墳など蛇と亀の姿の象徴でもお馴染みですね。それが「北の帝王」であり武神を意味していました。

信長復権にあたり、彼を玄武に喩えたかったという意図がうかがえますね。

 

古くからこの地はさほど高くはない山(112m)ながら要衝の地として城砦化し戦場と化しています。⑦は空堀のような土塁のような・・・丘の中央部にありました。⓼⑨は建勲神社境内に立つ宝篋印塔の変形ですが、隅飾りの部分が2段になって明らかに台座との材質が違うため、後世積みかえられたとみるべきでしょう。基礎部分(塔身)が竹菱型で中がくりぬかれているものは初めてお目にかかりました。

 

周辺に無造作に散乱している五輪塔やそれら残欠、石仏等はやはり室町時代のものとみていいのでしょうね。おそらく神社が入る前、戦乱時代の名残として一部墓地化していたことと思います。今は神社領域となっていることからか、その扱いは粗末なものになっているような感じがします。⑩も含めて、石仏は近江周辺各地で見るタイプです。

 

おしまいの画像が「大文字」の山にその前が南の方角、タワーが見えます。

船岡山の概略は画像⑥を参照ください。