年配者の意見を一蹴したかの如く拙僧の反論と思量する正当性をぐだぐたと記させていただきました(昨日ブログ)。
人は年齢を重ねるとどうしても自身の不具合が積み重なって、思うようにならないことへのいらだちから不満ばかりぶつけるようになるという傾向があります。
まぁ私もその方向に一直線を辿っているのでしょうが・・・。
父がそうでしたが自身に関わる不都合の件はまず自分ではなく「他」を起因するかの如くの振る舞いです。
そして叔母(父の妹)は今「被害妄想」の傾向が出てそれを周辺にぶちまけるので一応管理者?となっている私は頭が痛いところなのです。
先般も叔母の物忘れについて記しましたが、先日は「おカネがなくなっちゃった」と電話が。
電話番号と電話の掛け方は絶対に忘れないのですが、他の身の回りのことに関しては既にハラハラの領域に入っている様。
それでいて介護度認定は「1」ですから自立を奪うのは酷なのです。
叔母は近隣や遠縁の人にやたらとモノやカネが「なくなっちゃった→盗られちゃった→泥棒が入った」の連想を吹聴するものですから1年ほど前には自宅に県警の現場検証が入ったほどです。
御親切にどなたかがそれを真に受けて110番したからですね。
その際は収拾するに一苦労でした。その前にも自宅裏の息子が何か物色していたと、警察沙汰にしていますし・・・。名誉棄損という罪があることを知らせても「絶対に」と言って一歩も主張を引こうとしません。
ということで叔母がまた「警察・・・」と電話の中で口にしたため、おっ取り刀、血相を変えて浜岡まで走りました。
その3日ほど前に確認していたばかりですから炬燵の中あたりから財布は出てくるだろうと思ってのことで、いつものことといえばそんなもの。
叔母の自宅に到着して、財布探しに入りますが冷蔵庫内からトイレ風呂寝室すべて探索するもその時は一向に出てきませんでした。
このままにしておくと「泥棒が・・・」とまた言い出しかねませんので叔母が常時出向くというスーパーマーケットに向かい落とし物の有無について確認。そしてまた交番まで出かけて菊川署の落とし物係に問い合わせしていただきました。
徒労に終わることはわかっていてもその「労力」を見せつけないと納得してもらえないからですね。
叔母は体力的には健康そのもの、目や耳そして何より口も達者。
ただ「記憶」に関しての「難」だけなのですが、それが一筋縄ではいかないのです。
しかしそういった私の動きもその場限り。スグに忘れて、そのあとからも「無い無いコール」は続いています。
最近はホントに誰か泥棒に入って盗っていったと私まで考えるようになりつつあります。
私はそのDNAを受け継いでいるはずです。
とにかく身に降りかかる「不都合」は他者のせい。
これは健康維持の秘訣というか免疫力アップと頑強な防衛力(自分に責はないお気楽)で当家のいい意味での植木等風キャラ(明るさの方よりイイ加減さ)なのですが、年齢を重ねるにしたがって他者を振り回すという結果になるやも知れず、ただ苦笑いばかりをしているわけにもいきませんね。
母親も叔母も私が言い聞かせようとすれば即「早くオサラバしちまいたい」のフレーズをもち出します。
それにはこっちも「早く・・・」で反論しています・・・。
世話人会という寄合に参集された地区世話人さまの前で年配者からの忠告に対しての自分の意見のみを正しきとして論し、何かの方向性を強く進めようとする私の背中をもう一人の私が見るとして、おこがましいことですが「長篠の勝頼の若さ」と重ねてしまいます。
これは「ひょっとして滅亡?」の道を歴史が示唆しているのかも・・・とも考えるワケです。
だんだん父親に似てきたと感ずる昨今です。
画像は馬場美濃こと馬場信春(信房)の墓。
あのアップするのを忘れていた長篠城に寄った際、久しぶりに足を伸ばしてみました。
「伸ばす」といってもまったくほんの少しの距離です。
長篠城の駐車場に車を放置していくのがベスト。
住宅地の細道を行きますので却って車がお荷物になってしまいますので(場所はここ)。
この長篠城址から西に向かう道沿いの北側の地名が「殿藪」と。意味深な名です。
こちらは豊川沿いに繋がる林の北側にあっていつ来ても画像は暗くなってしまいます。湿気の多さも感じ、被葬者の立場から見ればいい環境とはいえませんね。
長篠戦後の書き物によれば、彼は山県昌景と同様、若き御屋形、勝頼を諫めますが、忠告は聞き入られることなく、武田軍は織田連合軍の術中にはまり設楽原で大敗を喫することになります。
山県も馬場もこの地で亡くなっていますが、その後間もなく、武田家も同じ道を歩むことになりました。
コメントをお書きください