「心」次第 虹上を歩み悟るか 火焔の迎車か

昨夕浜松での所要が済んで帰路東の空を望めばまん丸の月が。

澄み切った空気に浮かぶ大きな月輪(がちりん)に美しさ以外の何物も感じることはないのですが、昨日記した地獄絵図の発展形、特に戦国期に記されてから江戸期になってブレークしたという地獄絵図・熊野観心十界曼荼羅図②③を思い浮かべました。

 

仏教的絵画としてその世界を印象的に描いた曼荼羅は密教系を主に多く描かれていて、博物館等に行けば必ずお目にかかることができる代物です。

カタチとしてはたくさんの仏が円形を成して居並ぶ姿が一般的です(熊野曼荼羅)が、私の好みは那智参詣曼荼羅(画像①)です。「那智」ですから「熊野」、熊野系のくくりですね。

 

この図を見て駆け出し坊さん世界に入ったばかりの私は鳥居があって坊さんが舟でお参りといったシーンにかなりのショックを感じたものでした。①画像下部。

これは明治の神仏分離(廃仏毀釈)以前ではごく当たり前のような風景だったからですね。今でいえば坊さんが衣を着て神社にお参りするという違和感がありますね。

これは本地仏という考え方(本地垂迹説)-仏も神も元は同じであるという考えでこれは仏教伝承以来の思想でした。

そういった思想が江戸期までは残っていたのですが、明治になってその歴史世界から「仏」を排除しようとしたのが廃仏毀釈でした。

 

もっとも私が熊野権現に関わるこの手の曼荼羅についてまじまじと目を凝らして「観る」ようになったのは熊野本宮証成殿の本地が阿弥陀如来であるということと、相良城資料館に展示されていたこと、そして描かれている図画の中に五輪塔を探すという楽しみからです。

相良資料館の軸の持ち主は地元の方(在家)でしたので、熊野信仰がこちら中遠の地にも脈々と繋がっていたことに驚きました。

曼荼羅の姿は普通の軸よりも大きめで圧倒感がありますが、この手のものを当時(江戸期)に仕立てるということにもある程度の資産家を感じました。

 

熊野曼荼羅には向かって左上に月輪、右側に日輪というスタイルで、こういった曼荼羅につきもの。

昼間、好天の際にはあの金色に輝く日輪はお目にかかることは多くありますが、その頻度に比して月輪はまん丸の姿を拝めるタイミングは結構少ないですね。

ということで、昨晩の月を見て、思うものがあったということです。

 

地獄絵図・熊野観心十界曼荼羅図②③は色々な作風があって何がオリジナルなのかわかりませんが、パターンがだいたい決まっているようです。

やはり日輪・月輪が左右上部に浮かんでいるのも那智参詣①と同様です。

「観心十界」にはまず円形(曼荼羅-サークルー仏教世界観を意味します)というか厳密には半円が描かれるのがポイント。

 

このレインボーの如く、あるいは山の登攀下山のイメージが「老の坂」と呼ばれるもの。一人の人間の「生」を描いているのです。

日輪と月輪の描写は時間の流れ、浄土風に言えば「無常」を表しているのですが、この絵図を見て、月というものに「死後」というものをも感じてしまいます。

 

老の坂右側の端の館で赤ちゃんが誕生し、その下部の鳥居をくぐって人生の坂を上りだします。

それに従って成長し、元服し、婚姻。「虹」のトップで満足気に金色の扇子を煽るのが人生の絶頂の頃です。

そうするとあとは下り坂、束帯姿から平服と装束も変わり徐々に老いていき、孫らしき子供に手を引かれている姿も。

腰も90度近くに曲がって出口の鳥居にゴールインです。

鳥居の外は墓場ですね。それが人間の推奨される一生です。

途中で坂から転げ落ちたり、絶妙なサークルが描けなかったり・・・

 

虹の半円、老の坂の中心に記された言葉が「心」です。

「心」の一字が中心に輝いています。

その「心」が怖いのですね。人が一番コントロールできないことですから・・・

見ると左右上部の「日月」が霞んでみえてしまいます。

 

「お前の心はどうだったのだ」「生きた」と胸を張って言えるのか、虹色に輝いていたのか、振り返って「観」てみなさいというのがこの曼荼羅の最大のメッセージだったのです。

 

「観心十界曼荼羅図」の「観心」たる由縁ですね。

また「十界」とは、「心」円から十方に放射する赤い糸のことを言います。

これが六道輪廻の「六道」(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)と+「四聖」です。

 

「六道」についてはブログでも何度か記していますので

「四聖」について・・・

①声聞 仏の教えに耳を傾け悟ろうとする心

②縁覚 率先して自然世界に出離して悟ろうとする心

③菩薩 修行者

④仏

 

要は「六道」は輪廻転生の迷いの世界、「四聖」が仏堂悟りの世界です。我が心がどちらに繋がっているのかは・・・

つまるところ「私次第」ということになります。

地獄は下方に描かれますが、地獄に繋がる糸ですと、鳥居を潜った瞬間にお車がお迎えに来てくれます。

画像中央下部の鳥居の脇ですが、これがいわゆる「火車」(かしゃ)です。

 

これにのせられたら地獄世界へ直行のご招待でした。むかしむかしの日本には、この手の軸をことあるごとに家族、子供たちに見せて、坊さんや近所の物知りに解説(絵解き)をしてもらったものです。それが「家」の教育となったものでした。

さあ貴方の「赤い糸はどちらに・・・・」

 

尚、「心」の上におわします仏が阿弥陀如来です。

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (水曜日, 24 2月 2016 08:41)

    久しぶりに面白かったです。武将の墓もいいけど名前を覚えられないので興味半分。
    墓道に反するかもしれませんが、こういうのが好きです。
    思いついたらお願いします。

  • #2

    今井一光 (水曜日, 24 2月 2016 20:48)

    ありがとうございます。
    私も武将の名前などスグ忘れます。
    まぁ忘れるので記録として記しているようなものです。

    私はこの観心十界曼荼羅の絵解きがしたいものです。
    もっと勉強してその世界を探求したいのですが、お軸がありません。
    ポスターか拡大コピーで対応しようと検討しています。