息子の情報は断片的ではっきりしませんが、昨日二泊三日の旅を終えて寮に着いたと。どうやら4人でレンタカーを借りて広島方面に。帰りは「香川寄ってうどん喰ってきた」と。
びっくりしましたが、羨ましすぎて悔しいくらいです。
四国に飛ぶという発想は思い浮かびませんでした。
しかしよくもまぁ夏休みに免許証をとったばかりの連中がそろって・・・。
この広島方面旅行の直前には男女合同の「出寮記念バス旅行」などという、もっと羨ましすぎる松本城の画像を送ってきていました。一体どうなっているのでしょう。楽しすぎるでしょ・・・
松本城は私が好きな城でかつて2度行っていますが、デジカメ時代ではなく(10代と20代)、キレイな画像を撮影したいと思って何度か「墓道氏」と検討していましたが、どうしても距離の事を考えて躊躇していました。若い連中のガッツにはかないませんね。
ということは・・・あの小僧はこれまで私が行ったことのない日本列島の地図を塗りつぶしたことになります。奴が行って私が行ったことのない場所はといえば・・・四国・中国・九州・奄美大島・北海道・東北は秋田・・・凄すぎます。
さて、こちらも何度もお邪魔している藤枝の蓮生寺ですが、現在は蓮華寺池公園とお寺の間の「駐車すればホコリだらけ」になる駐車場は一変していますね。舗装のうえ、市の施設らしき工事中のものと「スタバ」ができていて、こちらは平日ながら店内行列。藤枝の憩いの場がより一層グレードアップしていました。
中段①が蓮華寺池公園。史料館と滑り台が見えます。②がスタバと藤枝小学校校舎と駐車場。③の右端が蓮生寺の本堂。
本日のブログは以前記した蓮生寺のところで二人いる蓮生坊の、宇都宮頼綱について(もう一人は蓮生寺の熊谷直実)コメントをいただいたことから記す事にしました。
頼綱実信房蓮生は前述の通り、鎌倉御家人多々ある中異例ともいえるインテリで、藤原定家とは昵懇で、娘が定家嫡男の為家に嫁いでいます。
何しろ彼が出家した際は一族郎党率いて頭を丸めていますので「凄い勢い」(徹底ぶり)でした。
何よりも彼の名を著名にしたのが、百人一首。
嵯峨野の小倉山荘に住んだ際、定家が選定した和歌98首をその襖絵として飾ったことがその始まりといいます。
かつてブログで記した清凉寺のスグ近く(場所はここ)。
この近くに小倉山二尊院という定家がいた寺がありますが実信房蓮生が邸宅を構えた理由がそれでしょうね。中院山荘といいますが、詳細は看板画像をどうぞ。
法然が亡くなったあと、延暦寺による専修念仏停止と弾圧が再燃した際、実信房蓮生らは天台の僧兵から守るために法然上人の遺骸を法然廟所(東山)から二尊院まで運び入れています。
宇都宮頼綱は浄土宗血脈保全に尽力した恩人とも言っていい人ですね。
ちなみに二尊院の名は、本尊「発遣(ほっけん)の釈迦」と「来迎の阿弥陀」(送り出す+お迎えする)二つの如来像です。
総門は伏見城薬医門の移築といわれています。
また西暦820年に小豆+砂糖で焚いたいわゆる「あんこ」が初めて作られたのもこちらと④の左側石碑。
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