川田の八面神社と正福寺  蕉園渉筆  運のいい奴

相良は菅山小学校裏の一幡神社境内の八面神社について菅山にいて高天神城に籠城した川田平兵衛との関わりを記しましたが、八面神社という名の社は相良の「園」(場所はここ)という字(旧園村)にもありますね。

園という地名を使う人はこの地元ではもはやお目にかかることはありません。地元の古文書をあたっている方か、過去帳をいじるお寺の住職くらいのものでしょう。

 

しかししっかりと今もグーグル地図にその名が記されています。当山過去帳にもその地に住んだ何某が記されていますが、現在その辺りの檀家さんは不在です。

園原といわれる台地は一見「菅山」になりそうなものですが以前は大きいくくりで「須々木」に入っていたようです。

今はむしろ大澤寺の名のもとである「大沢」という感覚です。バイパス大沢インターチェンジの北側になります。

かつては人家もそれなりに散在したのでしょうが、この地区の人々は上記地区に分散し、今はほとんど茶畑か山林に化しています。

 

「園」の丘陵地帯は大沢地区の湿地帯に対して、河川の氾濫への対応力があり、地域有力者の「南面する」墓域となっていたといっていいのかも知れません。神社を見下ろすように囲う南側の古墳の上に茶畑が広がっている様子がわかります。

 

八面神社は元々相良では川田平兵衛の勧進の社といわれていますが、園のそれは正福寺廃寺の跡に地元の方の手によって建てられたものです。

園村正福寺廃寺がこちらにあったことはまず違いないところでしょうが、もしそうであるならば、この神社は川田平兵衛と関係ないのでは・・・と思うところがあります。

それは小島蕉園の「蕉園渉筆」(文政八年1825)に触れられていてそのことはこの段階では正福寺があったということの証になっています。もっとも川田砦から見て東側、相良平地向き最先端の位置にありますので、菅山小学校裏の神社と対にあった神社がこの近くにあったことも考えられます。

 

蕉園の相良周辺の事象をつづったそれはまったくもって不思議なこともつづられていますが、この正福寺の件も不思議というかかなり脚色している感があります。

ごく短編な記述です。

 

 

「門自起・正福寺」

 

「園村正福寺、文化壬子八月、大風雨、倒樓門、

一日夙興、樓門如舊(元)、今所存即是也」

 

文化に壬子は無いので先生の壬申の誤りでしょう。

文化九年(1812)の「事件」と思います。

夏季ですから台風の被害でしょう、大風によって寺の門が倒れるというトラブルがあったそうです。

ところがある日の朝早く、倒れた門は自分で起き上がって元のように戻り、それが今ある門である、という記述です。

 

立地的に北東方向に向いた場所で背後と南は台地になっています。台風が太平洋上を通過したり遠州灘に上陸するとなれば、囲繞地形にあるこちらに突風が巻き起こって、被害を発生させたとしても不思議では無いですね。

 

ただし、朝早く元に戻ったというのは端折りすぎでしょう。

地元の人たちなどが力づくで「起こした」としか考えられません。話を伝えた人の目から、しばらくして「なおっていた」のでしょうが、「瞬時に修復」が誇張されたのでしょう。

どちらにしろ蕉園が相良に赴任する前のお話しのようです。

 

社は今は掲示板も案内も無く一見ただの掘っ立て小屋。

鳥居が御印程度に立っていることから、それが推せるのみです。

こちらが元寺であったことを思わせるものは社の脇の石仏と墓石です。また、社の背後の丘、現在は竹藪の下には宝篋印塔の残欠が見えました。それらは、標識としてピンが刺さっていましたので、これから何とかしようとしているところでしょうか。

 

昨日それらをたまたま大沢インターの通りがかりに、確認にあの畦道に入り込んだのですが、久々豪快に車がスタックして脱出不能の状態に陥りました。大丈夫だろうと甘く見ていました。

 

冬の晴れ続きの畔は「かちんかちん」で問題無用だったのですが、昨日は週末の降雨でぬかるんでいました。

 

これまで、ブログで車を紹介することはありませんでしたが殆ど昨日の苦労話の主役に躍り出ましたので画像upしました。

以前のパジェロから街乗り四駆のエクストレールに乗り換えて3年、墓城巡りはコレになっていました。

勿論「パートタイム」です。

 

「パートタイム」は先般総理大臣が「月給25万円」と語りを入れた仕事の時間割による形態をいうものではありません。

四輪駆動」にするタイミングのことでドライバーの適宜(パートタイム)か常時(フルタイム)かのことですね。

 

通常時はFF(前輪駆動)で走っていますが、林道やこの手の場所は四駆にします。今回だけはグーの音も出ないくらいどうにもなりませんでした。自宅まで走って帰って一応は軽トラでひっぱるという「徒労」もチャレンジしました。

 

近所の作業所に昼食休憩中の4トンユニックのお兄ちゃんをみつけて、ダメ元でひっぱってくれないかを頼むも「お断り」でした。まぁ4トンをあの道に入れればハマる可能性がありますので嫌がるでしょうね。長めのロープを持参していたのですが、無理にはお願いしませんでした。

 

私はその手の場合、かつて無下にお断りしたことがありませんでしたので少なからずショックはありましたが「まぁそういいこともあらあな」で次の手配を。

須々木の鉄工所(檀家さん)に電話すると、瞬時に2トンユニックで駆け付けて引っ張り出してくれました(ユニックは使用せず、牽引するのみ)。

 

持つべきものは檀家さん。阿弥陀様が具現したかの心境で手を合わせて感謝いたしました。

 

この畦道は古くから突発的トラブルの発生する場所でありながら「奇跡」が起こって一瞬に立ち直る場所なのかもしれません。

 

横浜の「奥の墓道」氏に詳細説明すると、「地元相良でこういったトラブルに見舞われるということは逆にこのうえなく運がいいものである、運のいい奴 !」また、それに

「今後、このちょっとした笑い話程度で収まった件、当分は運転も自重し調子に乗ることを控える」からだそうです。

 

ありがとうございました。反省します。