長篠城の伝説的英雄 鳥居強右衛門勝商

一度はチャレンジしてみたい戦国時代の匂いが激しく漂う飯田線の旅。まずは夢のまた夢となるでしょうが、興味ある場所、駅を下車してのんびり廻って歩けばとてつもない時間を要することになりそう。

 

飯田線愛知県豊橋駅から一部静岡県内を通過して長野県辰野駅まで駅数で94駅、各駅停車で約6時間かかるそうです。

天気のいい日に雄大かつ険しい山の中を縫うようにして進む車両に揺れながらのんびりと時間を使うことができたらまさに至福の時間でしょうね。

 

先に記した長篠城駅の豊川から見て一つ手前の駅に「鳥居」という駅があります。

もちろんこの駅名は標記、天正三年(1575)長篠戦の徳川方ヒーローの名から命名しています。彼が亡くなった場所がこちらの近隣だということですね。

寒狭川・豊川という天然の堀を隔ててその北側が長篠城ですが、その川の南側といえば長篠城を囲んでいた武田方の陣。

飯田線はこの鳥居駅を過ぎてから川を渡って長篠城駅に向かいます。

長篠城方奥平貞昌(信昌)配下の雑兵、鳥居強右衛門勝商(とりい すねえもんかつあき)は城内に入るべく渡河にあたろうとしたところを敢え無く武田方に捕縛されてしまいます。

鳥居は岡崎の家康の元に籠城城内の窮状を知らせて後詰を依頼に向かい、その返事を持ち帰り城に入る寸前のところでした。

 

武田方としても徳川勢が織田勢を引き連れて集結するという気配は察知していましたので、城の奪取は猶予がありませんでした。よってこの鳥居をうまく丸め込んで籠城方の待ちに待った「後詰の報せ」を否定させて戦意喪失させる策を考えます。

鳥居には命の保証と褒美、出世を条件に、一芝居させようという算段。対岸から「後詰は来ない」(・・・よって、戦っても無駄)を叫ばせようとしますが、鳥居はその意に反して「後詰がスグ来る」(・・・よってあと少しの辛抱)を大音声で叫んだといわれます。

 

鳥居は磔刑になって本丸対岸に晒されたそうで、それを見た城内はますます武田軍への反抗を頑強に荒げてしまったというところが推測できます。

 

武田家の家臣の落合左平次道久が鳥居のあまりの天晴れに感激して自らの旗差し物に彼を描かせたといいます。画像は一説に「逆さ磔だった」ともいいますので逆さのものも。

この鳥居の「正義」に両軍将兵とも「武士の生き方、本望」を見せつけられた事でしょう。

 

昨日記した安国寺恵瓊を洛中で捕縛する大手柄をあげたのは鳥居強右衛門の遺児、鳥居信商といわれています。

画像は長篠城本丸付近のフェンスとその対岸の鳥居強右衛門磔刑の場所に建つ碑。季節感混在で夏のものもあります(場所はここ)。