大金持ちの考えていることはかなりエグイですね。
サウジアラビアのやり方です。石油生産国として市場占有の盟主としてのプライドを保ったまま原油価格を上昇に反転させる裏ワザを見せつけられているのですが、思うようにいかないようです。
何しろイランとアメリカはじめ西側諸国が仲直りすることが許せないようですね。
幼稚園で嫌いな友達と仲良くし出した親友に対してダダをこねているが如くです。
遠く地球の果てのちっぽけな国から見た小市民の目からしてもその「イヤイヤ」は見え見えです。
これまで通りの贅沢三昧を続けるにイランを怒らせて暴発させるという誘導作戦は失敗に終わったかのよう。何しろ戦争をおっ始めて原油のひっ迫感を作り上げたかったという方向性はわかりました。まったく信用がならない国とはあの国のことかも知れません。
核を振りかざす独裁国家も近くにありますが、むしろそっちの方は皆さん少々騒ぎすぎ。
マスコミはじめ国の方も「だからそうでしょ・・・」の各保守的法案追認理由として国民を煽る材料に仕立てているようにも感じます。
両国ともアメリカに相手にして欲しい、こっちを向いて欲しいというアピールがそうさせているのですが、まるで子供。
これでは世の中から紛争・戦争が無くなるワケがないですね。
戦争はつまるところ如何に「私が贅沢するか」です。
一言で「経済至上」に紛争というものがリンクしているということですが、今の日本は「経済、経済」と「紛争の隠語」にも見えるそれを連呼しているよう。
危なっかしく思えてなりません。
さて、三方ケ原戦の裏番といわれる「仏坂の戦い」について何度か記しています。
井平城の裏山あたりの「殆ど山の中」を思わせる場所でしたが当時としては交通の要衝であったといいます(鳳来寺街道、三信街道)。
まったく今となってはその面影すらも無くなっていて、本当にそんなに人の往来があったのかと思せる場所ではあります。
時代も時代ですから、旅をするといっても相当恐ろしい山道の行脚でしょう。山賊が現われて身ぐるみはがされるなど十分推測できます。
現代科学の合理性というお頭を為し得た現代人であればこの程度の「山の恐怖」は殆ど無いに等しいのですが、かの時代に生きた人々の考えはそうはいかなかったでしょう。
今は、こんな場所を訪れる人はそうはいないでしょうが、「藪の中」は昼なお薄暗く、いかにも神秘的。
ふろんぼさまよりさらに上へ歩を進めると、こちらには元禄九年(1696)といわれる道標がありました。下にあった天保時代のものよりさらに古い!!。
その道標からが藪の中。
その奥に最近になって発見された墓石群台座があります。
看板の下方に⑨がありますが、急斜面で上方からの滑落を想像できる石が散らばっていました⑩ので斜面を上ると⑪が。
標識の場所から下がらずにそのまま道を行っても確認できる筈です。その道で戻ってきましたから・・・。
これを地元では「新ふろんぼさま」と名付けたようです。
私は死者をこの石の台座上で荼毘に付して、石塔などを建てていたのかとも考えました。
斜面下方には降りませんでしたが、この斜面下には墓石宝塔類が埋まっている可能性が高いと思います。
ザイルとハーネス持参で斜面に張り付いて探索したい気持ちでいっぱい。
場所はここですが下の航空図、向かって右側の山塊が井平城。西側の谷を北上するのが旧鳳来寺街道で、ピンク色矢印から白いラインが旧街道になります。
黄色の矢印が天保の石標、緑の矢印がふろんぼさま。
ピンクの矢印が上記画像②~⑦。Aが⑧~⑪。Bが①。
浜松いなさIC周辺は大きく開削されてしまいましたが、今年2月13日15時開通の新東名延伸の基点となります(豊田東まで)。
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