「幸福」だとか「絶望」はいかにも仰々しい語です。
普段そう口に出す文言ではありませんが前者のポジティブ系のものは最近よく耳にすることが多くなったような。
誰もが「できればそっち」という期待傾向のあることは当然ではあります。私は仕事柄後者の方での相談も受ける事は少なくありませんが・・・
娑婆世界の「娑婆」とはそもそも「忍土」ですから、この世は「忍土」ということ。その世界に生れてきたということはそれを「堪忍して生きていく」ということで、そもそもの釈迦の教えです。よって仏教界ではいたずらに前者の方を吹聴するということはないですね。
ちなみに堪忍の意は①堪えて忍ぶ②他者を怒らず我慢して恕す
です。
敢えて言えば、そう期待(幸福)したいとするのは(煩悩満載の)人として致し方ないにしろ、結局「無常」世界―すべてのものが「変化」から逃れられない(まさにそれこそが娑婆のならい)―に生かされる身ですので、その心地よい語に釣られてしまうのは空しいことでもあります。
私はむしろ「絶望」の方を本来の人間ベースの考え方として、日々過ごす方が相応しいと思います。まぁその語はやはり仰々しく少々「盛りすぎ」の感がありますので、そう頻繁に人に訴えかける語ではありません。要はどちらの語もオーバーアクション、客寄せの語彙なのでしょう。
なぜならば、両語とも「主観」で決まる心の状態をいうもの。
人それぞれそれらを計る物差しが違うということです。
たとえば昨日記した「原油価格」の上下など最たるもので、中東で死人が出れば価格が騰がって、それを取引したり商売の元としている方は儲かるので喜びます。幸福と絶望が1本の板に乗ったシーソーのようなものでもありますね。
御商売などもそうで、片方が儲かるということで片方の売れ行きが落ちたりします。需要は限定的なのですから。
「ゼロサム」的競争社会に生きていればその両語の感覚は同時期において相反し、なお人それぞれの感覚もあって一概性は無い酷く曖昧な語でもあるワケです。
よって私は特に「幸福」吹聴の鼻高々には「信じるな!!」のスタンスであります。
お笑い芸人の発する言葉で、標記「安心・・・」は下着云々ほか何ごとにおいてもほんのりさせる言葉です。
この語は息子に「お前勉強しているんだろうな」などの親の子の不信に対して最近やたらとその語が返ってくることによって知りました。
くだらないとは思いますが言葉としては面白いと思った次第です。その芸人も「裸」で持て囃されているようでした。
これは皆が日々絶望まではいかないものの何かしら不安を感じているからではないでしょうかねぇ。
少なからず宗教に携わっている者としてはその語こそがキーワードです。特に私ども真宗では「安養(あんにょう)の浄土」(御開祖)という表現の仕方をしています。
よって皆さんには安養・・・安心を指示さなくてはならないのであって、いたずらに「幸福」という文字のみによって指向を誘導したり、主観示威的な方向性の提示などは切に遠慮すべきですね。
ポイントは御開祖同様「私も一處だよ」でしょうか。
だから同じ目線、同じ立場に居なくてはならないのです(同朋)。
どうしても坊さんは周囲からほいほいと持ち上げられギミになりますのでつい調子に乗って先達、達人気取りで「教えてやる」的になって、高慢ちきな人種と評価されるようになるのでしょう。
私も調子ずくとついつい、ペラペラ余計なお喋り、大反省です。
さて、年明けスグに転んで事なきを得て喜んでいれば、その数日後最近には無い絶望感に襲われました。
プリンターと外付けハードディスクが約1時間の間に両方ともぶっ壊れました。当初それらはパソコンの不調が起因するかと思いました。勝手に埃が溜まりまくったせいだろうと思い、カバーを外してエアで吹いてクリーンアップしたのですが、再接続しても両者とも不動。念のため別のパソコンに接続しても同様の症状。
プリンターなどはどうでもイイのですが、ハードディスクの故障は「絶望」以外何ものでもありません。
そんなことはいつかはあるだろうと思ってはいましたが、殆どの記録は目の前から消え失せてしまいました。
仕事にかかわるエクセル系ファイルは別のものに時折避難させていましたが(最後に保存したのは昨年10月)、ブログ系の過去画像ほか懐かしい画像その他すべてです。
特に、これからブログに掲載しようとしていた画像たちも同じ場所に保存していましたので消えてしまいました。
おそらくあの画像たちで1年はブログが記せそうな量になるかと思います。これを「絶望的」という以外どう表現すればよいのでしょうか。
とにかくプリンターを探しがてらに遠州豊田のN点へ、ハードディスクを片手に向かいました。
ところが女性店員さんはバッファロー(HDメーカー)のお客様サービス対応の電話番号の表をコピーしてくれるのみで、頼りになりません。販売する時はマークして結構しつこいくせにそういう難解なお客は「お帰りください」の意でしょうか(一応上司らしき人に相談していたようですが・・・)。
要は「壊れちゃったかどうか調べるのに3600円かかる。壊れていたら修理するが修理費はかなりかかる。メモリーがクラッシュしていれば対応できないので専門の修理屋へ」との談。
私が「壊れているのかどうかもわからない」と言えばそのコピー、紙切れ1枚を渡されたのですが、私が従業員でしたらもっと親身になって対応したでしょうね。
売上に直接関係ないとしてもそういう客を大切にすることが次の販売に繋がるものなのですが・・・。
もし私なら・・・一応メーカーのお客様サービスに問い合わせて(販売者と営業のホットラインはあるもの)そちらからのアドバイスを提示します。どういう返答がされるか予想がついていたとしても、顧客には説得力ある行動です。
そして、「壊れたかどうかもわからない」状況というものは、電気を入れて当たり障りのない端末につないでいただければだいたいの評価というものができるはずで、その手間を省いたということは私としてはかなりショックでした。
よってこのお店でのプリンターと新しいハードディスク2台(1台では懲りたため)、そしてヤバそうなデスクトップの切り替えすべて購入はやめることにしました。ついでに会員メールの着信拒否も行いましたよ。店としては痛くも痒くもない些末な事案でしょうが、業績というものはそれらの積み重ねですね。
HDの件はどうでもよくなってしまい、またプリンターならアマゾンか価格コムでも探せばいいものと、折角だから寄り道して帰ろうと浜松三方ケ原方面へ。
たまたま姫街道近くを通過中見かけたのが今一番の「絶望的」懸案事項について「安心してください」の文言を発見。
一度通り過ごしましたがUターンして「えい、やぁ」でHDを。
勉強代は高くつきますよ。
まだ朗報は届いていませんが、復活の手数料(成功報酬)は25000~30000円。中のパーツがぶっ壊れていれば70000~100000円だそうです。
私は「後者だったらキャンセル、諦めます。前者だったらお宅で販売しているHD1台(12000円)購入してコピー願います。」と言って帰宅しました。
中身もプライベートなものばかりで、浜松くらいの距離が丁度イイのかとも思いましたが、それにしても復活にしろダメにしろ新年早々ガッカリなことでした。新年初転びの因縁に苦笑い。
①は境内の梅のつぼみの状況。春は確実に訪れようとしています。
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