大晦日の拙寺の鐘撞き大会「除夕の鐘」を2年続きで行いましたが、やはり世の中のお寺様はしっかり11時30分頃から初めて年を跨いで鐘撞きを行っているのが常のようです。
こちらのお寺さんは1130~1230と1時間108回を厳正に修めるというやり方を踏襲していました。当たり前だと怒られそうですが、まぁ当方のことはお許しいただいて・・・。
新城の大洞山泉龍院にうかがった際、その「除夜の鐘」の予定告知を拝見しました。
それにしてもこのお寺の広大な事、圧巻です。
開山堂内に徳川将軍家代々の位牌を安置している、曹洞宗中本山名刹だといいます。葵の紋が光っていますね。
その鐘の掛かる鐘楼ときたら絶妙でした。
さぞ大晦日のその時間帯は賑やかながら荘厳のうち鐘が撞かれるのでしょう。
本堂改修のあとだと思われますが、大棟にかっていた鬼瓦が設置されていました。
拙寺のものと比して3倍の大きさはあると思います。
多くの菅沼家の存在とその流れの多様については昨日記しましたがこちらの寺は約500年前の開山で、近隣野田城主の初代菅沼定則が帰依して寺の「有徳なる人」となっています。
定則は二代城主の菅沼定村に家督を譲ってこちらの大門前に道場を設けて自ら住んだとのこと。
元亀四年(1573)の武田信玄の攻城戦によって伽藍は焼失しています(泉龍院と野田城はこちら)。
墓域入口に建つ「菅沼定則の塚」の看板の通り進むも新しげなお墓ばかり。不安ながらそのまま進むも、その日は陽も大分傾いていたためだと思いますが、この広大な境内に人気はありませんでした。
すると上の方から下ってくる男性を1名発見。
これは・・・と思い、「こんにちは・・・」です。
菅沼家の御墓はどちらか伺った際のその方の第一声が標記でした。
今となってその件を記すのは失礼ではありますが、その時はまるで新喜劇を彷彿とするような問答だったのです。
おかしいですよね。こちらが「菅沼家はどちら・・・」と質問したのに際し、先方様から「あなた、菅沼さんですか?」ですから。
私の方が質問しているところなのに、逆に「聞かれても・・・」の状況で、新喜劇ではコケル場面なのですが、そのあとに続くこの方の言葉を聞いて合点しました。
「私は菅沼姓ですが、同じ菅沼一門の方がお参りに来たかと思いましたよ」と。
それほどに菅沼家は広く大きく広がっているということですね。驚きつつ立ちすくんでいると「こちらです」と案内いただきました。
まぁ、どこかでも記していますが三河の人はどちらに行っても親切で案内を買って出るなどのことは殆どですね。
面白いお話2点、いただきました。
1.四基の墓石が立っていて、案内板がありますが、この案内板には誤記があるということ⑧⑨画像。
案内板の文言、右端の「野田城主初代 菅沼新八郎定則」⑩のものと3番目の「野田城主第三代 菅沼新八郎定盈(すがぬま さだみつ)⑬記述含め入れ違っているとのこと。
右から野田城三代→二代→初代の順が正解です。
一番左の一番新しい菅沼定芳の墓⑭については「何故ここにあるか不明」とのこと。
2.右から2番目の「野田城主第二代 菅沼定村」の墓⑪⑫は明らかに他の自然石を使用したものではない、宝篋印塔の上部隅飾りから宝珠の部分です。
こちらは討死した雨山の地にあったものを後世、当地の縁者が台座をそのままにしてこちらに上部だけを持ちもどったものだそうです。
尚、この墓地でいただいたご縁の方は「菅沼定村」の流れとのことで、代々その読みについて「定村----さだすえ」と読んでいるそうです。また、田峯菅沼氏の「田峯」を「だみね」と濁ることもこの時初めて聞いたものです。
三河在住の菅沼某様、とてもいい御縁をいただき感謝いたします。
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ジョン・カモン (水曜日, 06 1月 2016 21:16)
はい、その逆質問の菅沼です。ジョン・カモンと呼んで下さい。
ほんの20分ほどの出来事でしたが、正確な観察力や録音されて
いたかのように、要点を記録、表現されていて、驚いています。
私は先祖ルーツ探索の旅人で、各地を何度も訪れています。
その1回1回の点を結び、もし線となれば歴史として見えて来るはずです。
先祖の事が気になる年頃になったと言うことでしょうか。
今回、宝篋印塔はお墓で、石碑はそうではない、ということを教えて下さい
まして、ありがとうございます。
今井一光 (水曜日, 06 1月 2016 23:16)
ジョン・カモン様
当ブログへ御来訪ありがとうございます。
現地でお聞きした、掲示板の誤りの件ほか、興味ある情報をいただきまして
感謝いたします。
実を言いますとあれからお決まりのコース、野田城をさらっと覗いてから
新城駅前の宗堅寺へお参りに。
日没直後の薄ら明かりの中仰っていた通り、
五輪塔がズラっと並べられて圧倒されました。
また新情報に巡り合いましたらこっそりご教示くださいね。
※宝篋印塔と石碑の件、「墓」のくくりもありますが
一概にはいえません。あの際はつい端折りすぎたようです。
あまりに楽しくて調子にのりました。
まぁ「だいたいそんな傾向」とでも思ってください。
ありがとうございました。