関西セレブ有徳人の顔ぶれ  大山崎 観音寺

大山崎は天王山の中腹のお寺、妙音山観音寺は御本尊が十一面千手観音。寺名の由縁です。しかし通称は「山崎聖天」(場所はここ)。

これはかつての神仏習合(神仏混淆)、信言系のならいです。

特に珍しくはありませんがお寺に鳥居の図です③。

 

江戸期に大坂商人たちが商売繁盛を祈願する神といえば「えべっさん」が有名ですがそちらはどちらかといえば大衆的。

それに対して大坂―京都間の「物」の流れのルート上の中間点という立地の天王山の「山崎聖天」は特に有力商人の三井・住友・鴻池など当時指折りの豪商はじめ皇室・大名名家がこぞってスポンサーになっていました。

 

こちらのお寺の災難はやはり昨日記した大念寺と同様「禁門の変」崩れによる長州軍の立て籠もりにあります。

よって追捕の幕府軍との戦闘でどっちが火をかけたか主な伽藍は焼失しています。

仏像と歓喜天像は助け出されたようですが・・・。

しかし戦争と言えば逃げ込むのはまず寺。

寺に籠れば攻め手も火をかけていぶり出そうとし、敗走方も混乱状態にして逃げ切ろうと寺に火をかける。

とにかく「戦乱状態」=「寺に火」というのがパターンでした。まさに兵卒というものは単細胞的で困ったものです。

当山が菊川から相良大沢に来たのも高天神の災禍で焼失したことが理由でした。

 

観音寺は財力のある厚信奉の有徳人(三井・住友・・・)を抱えていたために明治期になって難なく再建されています。

このお寺の境内に大きな(3m)銅製の燈籠が立っていますがこちらの由来は住友家三代目(住友吉左衛門友信)が伊予国別子銅山(住友金属鉱山)産の銅を使用して鋳造寄進(1697)したとあります。そして阪神淡路大震災で損傷を受けますが再び住友グループの寄進によって修復されています。

 

位置的に⑤の背景の山が天王山でこの山の中腹になります。

最後の画像の通り、崖の斜面に石積みが各所見えますが秀吉の手によるものかどうかは不明です。