尼崎の有徳人の登場 やっかみ半分の雑音を・・・

単純で影響を受けやすい私ども家の人間はここのところの朝からお上品でまったりした関西弁のドラマを見て、変てこな関西弁を織り交ぜた会話が飛び交っています。関西に赴くことが増えかつ、新喜劇のお笑いを見るなどそれら関西の人々と接する機会が増えていることもあるでしょう。

 

NHKの朝ドラは関東系、関西系と交互に製作されているようですが、私は断然「関西」製作に軍配を挙げています。

前回のものは一切視聴することはありませんでしたが、今回は「欠かさず」です。関東系は現代ものが多くて、若い連中が「がなり立てている」傾向が強いイメージがあって、朝から「うるせぇ!!」という具合に電源を落したくなったものです。

そういうことからストーリーにもよりますが「ほんわか」するような会話は安心して見ていられます。

そして今回のものは視聴率が高いようです。

 

私の性格を人とは違う「変わりもの」であるとよく父母にこきおろされていましたが、何のことはない、大河ドラマも現在の低視聴率低評価のものは毛嫌いしていますので案外世間一般の皆様と趣向は同じようでもあります。

一律迎合はしていないつもりなのですが。

 

まぁ会社勤めの時代は「あり得ない時間帯」ですが、世の家庭を守る御婦人方は亭主が仕事に出たあとはその番組にチャンネルを合わせるというのが一般的習慣のようでもあります。

よってこの時間に他家を訪ねることや電話を掛ける事はタブー。私の対外的な始業時間はそれが終了する8時15分としています。

 

先方様によっては「お構いなし」ということもあります。

そういう時は「ああ、この方はそういうものは見ないのだな」と思いながら対応してあとから再放送を見ればイイだけです。

その手のものはたくさんやっていますね。

730からのBSを先に見ておくというのも作戦です。


次の朝ドラは「遠州」です。既に浜松にて撮影が始まっているという報がありましたが、「現代もの」でない限りそこそこ朝のお楽しみとはなるでしょう。言葉では負けますが日頃私が思う遠州人の温かさを出していただければと思います。

 

さて、11月末にニュース報道で仰天の「有徳人」の話が出ました。「有徳人」とはブログでも記しましたが寺で言えば「檀那」です。横文字で記せば「スポンサー」でしょうか。

何とも羨ましく、摂津尼崎城の天守閣を再建する資金として10億円以上を寄進するというものです。

市出身者のある会社創業者がポンと「私財を」と市に打診してきたとのこと。

 

以前相良にもその手の話は出ていましたし、現在駿府でも天守再建の話は進行中です(双方詳細図面喪失の為頓挫)。

そこで外野も外野、その発言に何らの責任もないドシロートの私がいつもの如く嫌味の如き放言をさせていただきますと・・・

 

日本史上メジャーの部類に入る尼崎城の天守となればそれなりのカタチというものが必要と思われます。ホンモノ指向ですね。

10億円というおカネの価値は庶民にとってはまず「天文学的」ではありますが、城を造るとなるとどっこいかなりキツイ数字です。

 

ちなみに江戸城天守は推測400億+本丸御殿300億、名古屋城天守342億(公称)+本丸御殿150億(実際)、駿府150億(推定 上記から比して少なすぎ・・・ダマシあり)というレベルでしょうか。

何より維持費も天文学的数値、1.5億~3億/年の支出は「当然のこと」でそれが存在する限りずっーと続きます。

だから作りたくても作れないという真実があるのでした。

誰が負担するの?―市民ですの構図も当たり前。尼崎城の天守は四重のうえ2つの櫓が合体した特殊な建築物だったことがわかっていますのでコストは半端ではないことが推されます。

 

その辺り「何も知らない」を自らも仰っているその有徳なる方は「鉄筋コンクリートの資料館的なものにして維持費もラクにしたい」と既に仰っていますが、これだけは市の真面目に昔からお城に向かっている教育委員会等関係者の皆さんは大いに困惑しているでしょう。それとも苦笑い?

市長さんレベルですとその手のものに喰いついて「観光資源」にと夢を描くことしきりでしょうが、スンナリとそれが進むとは考えられません。

 

歴史上の建造物は元あった通りの復元を心掛けるということが現在の方向性なのですが、バブルの頃にありがちだった各各有徳なる人による「寄進」から―お金持ちは往往にしてあまり後の事を解していない傾向―拙速な建造=「鉄筋コンクリートの資料館」―を造って歴史そのものの良さを自ら封じてしまった近代の歴史があったのです。


維持費は鉄筋コンクリートで作れば上記の如くの大枚の出費は無いかとは思いますが、それでも年間に数千万円の維持費は推測できるところ。

集客を見込んだ設備の維持は特にです。

特殊な施設で規模はさほど大きくはない相良の子生まれ温泉の施設管理と維持費の額を聞きかじったことがありますが、70万~100万/月と言いますので最新式の設備を維持するのに年間で約1000万円の出費があるとのこと。あまり比較にはなりませんでしたね。

 

よって建物の維持費はデカければデカいほど高くつきます。

木製と違ってコンクリートは劣化が著しく精々30年程度が関の山。

歴史好きとしては見物ですね。

それとも大いにあの地の市民が盛り上がって「あと100億くらい何とかしよう」という意見がまとまればかなり違ってきましょうが。

ホントのところを言って「10億なんて維持費で10年分」などと言ったらその方にブン殴られるかも知れません。

 

大きなおカネの額を記して感覚が麻痺してきたところでついでに調子にのって記せば、この小さな拙寺本堂のみをゼロから再建した場合(勿論木製)、「最低6億円」と東大の建築学の先生が仰っていました。しかし200数十年建っています。

 

10億でお城?「建たない、建たない」(私の所感)、その辺りにお詳しい方、「さあ、どうする?」。

 

画像は初夏に立ち寄った尼崎城。と言っても廃藩置県後、思いっきりブチ壊されていますので殆ど「跡形もない」というのが実情。私は近くを通過したということもありまた此のお城への日本史登場数の多さから、少なからずの敬意をもって向かったのでした。

 

天守閣のある城のイメージは江戸時代に入ってから。

寛永十二年(1635)に大垣城に移る前の戸田氏鉄(うじかね)が膳所城から入っています。

彼は築城と治水の名手と呼ばれています。

こちらには4重の天守と三つの三重櫓に堀を廻らしたといいます。スケールは壮大でここまで再現するには駿府城再建予算と同程度のものとなることは必至でしょう。

 

天守は戦国系国人館と同等の約100m四方ということもあってそれをベースに発展した「その前身」を想像することができますが、あの荒木村重が脱出して逃げ込んだという尼崎城とは別の場所だったそうです。

この城は淀川が大阪湾に流れ着く大小河川の作る扇状地にあって海洋に面している浮島のような立地にありますが、川の名称である「大物川」から大物城と呼ばれていました(場所はここ)。

その「大物」は付近地名にも今も残っています。

 

本丸は市立文化財収蔵庫(画像②)となっていてそちらには城跡の碑(②の奥の茂みの中)が建っていて収蔵品も見学することができます。

④三の丸が②の道路を隔てた真ん前となります。

⑩の集合写真は明治四十一年(1908)の正月の記念撮影とのこと。画像には天守台が残っていますがこの位置が現在の②の位置。最前列中央が最後の藩主櫻井忠興の嫡子櫻井家の当主の櫻井忠胤。元の藩士たちが彼を囲んでの図とのこと。「櫻井」とは聞き慣れませんね。これは幕府崩壊に伴って改姓したものです。

元の姓は「松平」です。

あの時期はいかにも松平を名のるのは都合が悪かったのかも。