なぜ人は憎しみ合い暴力に向かう 憎悪の連鎖

私たち現代の「日本人」は世界有数の「恵まれた国民」であることは世界中の誰もが知っている事ですね。

当の日本人がそこのところを「当たり前」と思い込んでいたり気づいていないだけです。

 

少なからず、仏教と言う非常に穏健な宗教、それも大乗仏教の「一同おかげさま」的鷹揚さ謙虚さも関係があるのかもしれません。

人種の混成も精々モンゴロイドと南方系程度で、国内大きな差別的闘争の芽も出にくい土壌でもあります。

本当に「有り難い」―あることがむずかしい―ほど奇特な国民です。

戦争に負けたおかげで大国の植民地政策にのれず、東南アジアからの恨みも比較的軽微で済んだということもありましょう。

 

もし、上記の仏教的道徳観による個の人間性の維持―外に向けた思いやりや優しさ―がその「恵の環境」へのウェイトとして高い効果を発揮していたとしたのなら、ひょっとして将来は悲観的かも知れません。

度々記していますが仏教の教えから離れて無宗教(自分教)あるいは他の自分好みの利益を得るための「何かの示唆」へシフトする傾向があるからです。

勿論仏教の衰退は寺の責任でもありますが、何やら最近の荒んだ世情を見ても空恐ろしさを感じます。

 

さて、有名な「歴史は繰り返す」という語にあとに続く言葉は・・・「一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」で人口に膾炙。今回の惨事と同じフランスの皮肉をかつて語ったものですね。「喜劇」という語に大した意味合いは無いといいますがこの言葉は「悲劇」の対比だけでなく何となく意味深ではあることは確か。

 

ヒトラーの台詞で映画の題名でもある「パリは燃えているか」を思わず思い出しました。この映画も錚々のキャストであったことは覚えていますが、何せ3時間近い作品でお恥ずかしいことですが、かつてお茶の間に流れていたそれを、まともに最後まで見たという記憶はありません。

記憶としてはNHKスペシャル「映像の世紀」に流れるメインテーマの楽曲「パリは燃えているか」の方が印象に残ります。

悲惨で悲壮感漂う映像とのマッチングもさることながら、人間の繰り返してきた愚かな歴史をつづるドキュメンタリーのバックとして見ている者の琴線触れること著しい曲調です。

 

さぁ、日本。映画の台詞で言えば

「What do you do ?」- 「さあ、どうする ?」(「スピード」)

「Go ahead」-「さあ、やれよ」(ダーティ・ハリー)

「Make my day」-「楽しませてくれ」(ダーティ・ハリー)

上の2と3を続けて言えば、まぁ「やれるもんならやってみな」でしょうか。

 

パリの惨劇を見て自由社会が委縮してしまうことは相手様の意趣の通りですから、その対応をどうするか各国で対応が叫ばれています。当事国のフランスは「正当防衛」の権利であるとして早速お相手国の首都と主張している都市を空爆していましたが、傍から見ていれば「泥沼」の様。これからも「やったやられた」の主張の繰り返しが大いに予想できますね。

 

日本国内でも俄かにその対応を論じるという特番がテレビ各局で設けられていました。

まぁ一律にアベ総理の米国へのリップサービスと「十字軍入り」は確定している路線で、お相手様の言われる攻撃目標にリストアップされていることは事実ですから怠りない注意は必要ですが、何より直接攻撃をしていないので「攻撃の優先順位は低いだろう」との御説ばかり。

今後アメリカから「シリアへ行ってくれ」との注文があったらどうするつもりでしょうね?

 

なるほど日本は島国で入国の審査は厳しいものがあります。

さすがに、武器の通過や国内の調達は難儀しましょうが、爆発物の製造に関しては知識さえあれば比較的カンタンといいますね。何より彼らの「復讐」の大義は直接空爆という因を限定的とするなど聞いた事がありません。

 

どちらかでテロリストの気持ちになる事が肝要と言っている方がありましたが、

「中東から離れた極東の地で大規模なテロなど起こせるハズが無い」と日本人もタカをくくっていて世界としても確率低しと思っている国で起こすことほど効果的なものはありませんね。

テロの効果は意表を衝くことと、新な恐怖を植え付けることです。

 

わざわざ外遊した首相があの時、米英仏との対テロ協調を世界に宣言し、自衛隊を外に出せると決めたことから大いにその恐怖が高まったということは今の国民のリスクをアップさせたことは間違いありません。

大きなステージでの吹聴おしゃべりも楽しいでしょうが、彼は背後に国民の命が控えていることを承知の上での各国首脳へのサービスをしたのでしょうか。

その恐怖のリスクを取りに行く理由はすべて「経済」をベースとした考え方によるもの。それももはや「必要以上に」の感もあるところ。今のままで十分です。

For a Few Dollars More」(「もう数ドルのために」)

はいかにも「さもしい」ものです。

 

ターゲットは勿論東京でしょう。人が楽しむ場所、家族が集う場所を単発ではなく同時に。風邪の罹患も怖いですが、これからいよいよ人混みは恐ろしい。

 

標記の言葉に似たようなセリフを聞いたのは「アイ・アム・デビッド」から。

家族から生き別れて過酷な強制収容所生活から脱走した12歳の少年が平和な世界の自由と人々の優しさの中で母の元に辿り着くというストーリーでした。

あと「信じる」ことの大切さも語られていましたね。

 

画像は「豊臣三韓征伐之図」。

三韓とは新羅に百済、高句麗のことで、古事記・日本書紀に記されている神話的誇張を秀吉が朝鮮半島を侵略する大義としたものです。

徳川時代はそのような無謀は犯さなかったのですが、明治以降そのネタ一つで征韓論となったことは歴史の事実。

それ以来ずっと日本には「嫌韓」感というものが根強く残っているような気がします。

未来志向でいきましょうよ。子供たちのために。


 

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コメント: 2
  • #1

    くりくり (火曜日, 17 11月 2015 20:18)

    現代社会のことに冷静にコメント入れるのはけっこう難しいですよね
    征韓論および侵略について
    その1
    人の国に武器を持って押し入って、財産、生命を奪う、もしくは戦争してくるのは
    やはりいかんし、恨まれても仕方ない。
    その2
    戦争状態になれば今まで築いてきた、道徳、倫理全て崩壊してしまいます。
    これは、フランスもそうだし、シリアもそうだし・・・

  • #2

    今井一光 (水曜日, 18 11月 2015 08:20)

    ありがとうございます。
    だからこそ、それを何度もやらかしている日本の政に関わる者は
    国民をそのようなどん底に陥れないよう「平穏無事」の方向に誘導して
    戴けなくてはと思うのです。
    憎しみを扇動して戦争をPRするような国の施策もかつて見てきました。