齢をとろうがとるまいが、あのカボチャのバカ騒ぎについて、耳目にすることも関わる事ももはや不思議を通り越して不気味を感じる昨今ですが、煽り役になっている報道関係機関もイイ加減その「アホらしさ」をも指摘すべきと思います。
まぁ、あの騒ぎで一儲けしようとする関係諸氏団体等その他、そんなことを言えば眼を剥いて喰いついてこられることは必定。
やはり放っときましょう。
気持ちとしてはああいう輸入もの「突飛」を発展させて「祭り化」(みんなでやればこわくない)することが古い文化をぶっ壊しているような気がして・・・
さて、昨日午前は「たけ※」さん宅へ。
久し振りにベリースペシャルな笑顔と、変わらぬトークをお聞きしてほっこりとした時間をいただきました。
今年一番に冷えた10月最後の日でしたが、暖かな気分。「本堂は寒いですねぇ」の声もあった中です。
お顔のほっぺたの上にあざができていましたが、約2週間前に転んでしまったとのこと。
自虐的に「パンダみたいになっちゃった」と。それだけで済んで良かったと安堵しました。
失礼ながら「お誕生日は・・・」というとしっかりした口調で「大正三年十二月五日」(101歳)と。
来年の春の法要には是非本堂にお招きしたいと思っています。
午後はまた90歳の女性と話す機会がありました。
その方は本堂まで車椅子で上ってきてくださいました。
拙寺本堂に数年前に設置したスロープがありますが、それを使用してくださることは殊に嬉しいことです。
車椅子でお参りの方が本堂での参拝を諦めて、階段下で待つという姿を見たことから、思い切って設置したものです。
当初は年に何回そのような機会があるのだろうかという「無用の長物―無駄」の不安がありましたが、なかなか使用頻度はあるものです。特に外トイレを撤去したため、庫裏奥のトイレに繋がるそのスロープは便利です。
決してラクとは言えませんが補助の方たちが押したり引いたりしながら上げ下げする姿は微笑ましいところがあります。
決して無駄などでは無かったと思っています。
100と90の女性の元気さの共通点はまず①笑顔でした。
そして②楽しい事があるということ。たまたまお二人とも②の楽しみとはデイサービスで行うお習字だとのこと。
私は①についてはまずまず人に不快を与えない程度の対応は「可」のレベルとは思いますが②のお習字はキツイですね。
早いうちに机上の趣味も見つけておくことが必要です。
「たけ※さん」は趣味が豊富で俳句、絵手紙、彩色画も手掛けているとのこと。そして「昼間は寝ることはない」とのこと。
「時間が勿体無い」と。頭スッキリの秘訣をお聞きました。
「たけ※さん」は既に100歳を超えましたのですでに済みましたが、ある不満について語られていました。
これから100歳を超える人たちに対して「何かつまらぬ」と。
これは私たちはあまり耳に入ってこないことなのですが、「老人の日」に指定されている9月15日に100歳の人に対して時の内閣総理大臣より銀杯(直径9㎝ 高さ3.2㎝純度99.7%以上の純銀)がこれまで贈呈(老人福祉法)されていましたが、その昭和38年から続いていた慣例が廃止されるとのこと。
理由は「行政事業レビュー」という税の無駄遣いをチェックする機関から「無駄遣い」との指摘があったとのこと。
各自治体もその手のお祝品は縮小傾向にあるようです。
何か、100まで生きる事がムダという烙印を圧されているような気もしてきます。
お国も地方も資金不足に陥っているとのことですが、その割には経団連加盟大企業の利益は「好景気」を思わす域にあるようです。
本当にあの手の御しるしの贈呈に困るようになってるのでしょうか。資金不足を言う前に国会議員の烏合衆を減らす努力と支出削減の方も頼みますよ。かねてからずっとそっちの方が「無駄遣い」だと思いますがね。
画像①はたけ※さんからのプレゼント。
食器洗いのスポンジを毛糸で編んだものです。結構使い勝手のイイものです。この手の手作業も健康管理にイイのですね。
②は新聞から切り取った銀杯の図。
拙寺では檀家さんで99歳のお祝いにはキャッシュで1万円+紅白餅を贈呈するという小イベントを春の法要で行っていますが(88歳で5000円+餅)、銀杯想定価格(8000円弱)を上回っています。
それでもそれだけの年齢を重ねた御礼にしては微々たるものではありますが、そうさせていただくというおかげ様の気持ちと自然な感謝の表意です。
全然「無駄」などと思いませんし、それこそその表現は不愉快でもあります。
コメントをお書きください