月並みですが「朝夕涼しくなりました」が最近のご挨拶。
といいながらも日中は心地いい夏の雰囲気、大昔に行ったアメリカの西海岸の気候を思い出させるような乾燥した穏やかな好天のもとの陽射しです。
ということで「いいお天気ですね」との返答も最近のご挨拶。
昨日も最近の傾向と同様、朝から「気持ち良すぎ」の空気。
午前の遠方からの来客があったのちは午後遅めの時間に相良史料館で開催される「わがまちの殿さまたち」のパネル展示の手伝いに。
史跡調査会の会長で、最近では駿府城再建委員として場所を問わず広範囲に動いている当山世話人の小澤氏旗振りで催される企画展で10月24日(土)~11月1日(日)まで催されます(画像)。
特に目玉は講演会。
藤田覚先生 (東大名誉教授) 「田沼意次を語る」
10月25日(日) 1400開演 入場無料
牧之原市史料館とは旧相良役場隣、相良城本丸跡のことです。
さて、昨日はその2つの用事の間、お昼を挟んだ時間帯は余裕がありましたので、高天神城の足元、「大坂」へ。
この大坂はどこかでも記していますが、旧大東町の地名です。
ちょうどこちらのわがまち相良とは比較にならないほどの図書館と公会堂施設「シオーネ」では「遠州横須賀展」という企画が催されています。こちらは11月1日まで。
この「横須賀」という地名も紛らわしいですね。昨日のお客様の「横須賀の・・・」という場面で私はつい言葉を掛けてしまいました。「神奈川県の?」と。当地で横須賀といえば7~8割は旧大東町のことですから。神奈川県人の会話では99.9%が神奈川県の横須賀市ですね。
シオーネの前の畑は、一面「秋桜」の乱舞。
あの暖色系の色合いは人を心地よくさせますね。
②の矢印が高天神城。秋桜摘みに励んでいる人もちらほら。
楽しそうですが大の男が一人で畑の中に佇むというのは絵にもなりませんし、摘んだとしてもスグに枯れることは目に見えています。見て楽しむのが一番ですね。
標記「松尾城」の名称は日本全国にあります。
その名を口にしただけではいったい「どちらの?」といわれかねないほどたくさんの松尾城がありますね。
これは城のロケーションとして最適ともいえる「段丘、台地の先端」「尾根の末端」を意味する「末尾」から縁起のイイ名称の「松」にかけて変化させたものといいます。
全国日本人の思考というものが同じだということを考えると面白いですね。
城巡りのテーマとしては通好みですが、もしや「日本全国松尾城巡り」などがあったらその時間と労力と経費、半端じゃあないですよ。
遠州では横須賀城と掛川城と現在は城の名が地名となって紛らわしさはなくなっていますが両城とも「松尾城」とも。なるほど掛川城は単独の台地にも見えますが台地先端、横須賀城など殆ど遠州灘に面した台地の先端だったわけで、ここでも「なるほど」と唸らせます。
撰要寺の裏の平坦地を「うばがふところ―姥が懐」と何度か記しましたが横須賀城の復刻図面を見れば入江であったことが一目瞭然。
目の前が遠州灘で先日記した道路の南がスグ海であったこともわかります。
あらためて記します。
遠州灘は100年200年で大きく変化する(隆起)特殊地域です。
これが私の浜岡原発の「津波防潮堤は意味が無い」理論の根拠です。施設地盤が急激に隆起すればどうなるか想像がつきますね。
コメントをお書きください