「うんコレ」とかいうスマホゲームの存在を知りました。
大腸菌を擬人化(美少女キャラ)して、敵(大腸癌)を倒していくという趣旨のようですが、そもそもコレ、奇をてらったというかそのスジの偏った好みの人のみを対象としたお遊びではなくて、お医者さんたちが真面目に腸内細菌と癌の早期発見のためにどうしたらいいかと考えた末の苦肉の策だったようです。
まぁ詳細は各自お調べいただくとして、一昔前だったらその語は表に出すことが憚られる語彙でしたから、そのニュアンスを含んでいて尚且つ美少女戦士の登場というその明るさは変わるに変わったものです。
前向きにもっとケアして健康を維持しようという応援のようですから、そこに皆が着目し、気安く隠し立てせず、明白の元に置くという習慣ができれば、早期発見の手だてとなりましょう。
スマホゲームなど眼中にありませんでしたが、場合によっては検討してもいいかも・・・と思量しているところです。
さて、「それ」は現在、都市部等では「下水処理」、「し尿処理」の設備が確立し、一部地方ではバキュームカーの出動によりその回収システムが整備されていますが、半世紀ほど前までは違う方法が当然の如くそれも歴史的に見て長期にわたってなされていました。まさにリサイクルそのものです。
化学肥料の開発される以前の農業の話です。
都市近郊の農村では農地の肥料として都市部人口密集地から出される人糞をあてにしていたのでした。
そこで農家にその肥を供給するための「肥え汲み屋」という中間業者にあたる職種がありました。
集積した人糞を買い集め農家に売ることによって糧を得るという職業ですが、稀に時代劇にも出てきます。
裏道に桶があってその桶に小便をして、小銭を貰うといところですが、糞便が将にカネになったという図ですね。
今もインドでの慣例で家にトイレは作らず、道端や線路に出て用をたすというような場所があると言いますし、ベルサイユ宮殿等のトイレ不設備によって「柱の陰」から常に悪臭が漂うために欧州では多種香水が流行ったのだと実しやかに語られるのを聞いた事がありますね。
効率的ともいえるその日本の「肥え汲み屋」のシステムは都市部街区を清潔に保つことにも一役買っていたようです。
先日、「山田洋次」監督の喜劇、「運が良けりゃ」という映画を見ました。落語から持ってきた江戸期の時代劇でもあり、その時代成りの時代考証も面白く、今は亡き個性的な役者が勢揃いしていて、懐かしく拝見させていただきました。
映画に登場する貧乏長屋には色々な職種の人が出てきますがタイトルの通りその「肥え汲み屋」は映画の中でも重要ポスト。
雇われ大家の給金として長屋借家人の共同便所の「肥え」を「肥え汲み屋」へ売る代金は実際かなりのウェイトを占めていたようです。
長屋裏でその肥えを堆肥として発酵させている場所があったようで、子供が鼻を摘まんで話すシーンがリアルでした。あんなものをまとめて保存し、発酵させるということは激しい臭気がしたでしょう。
また、実情としては一般庶民のそれより断然江戸城内大奥のものが高く取引されたとのこと。それだけ美味い物、栄養度の高い物を食べているということですね。
ハナ肇の主人公が岡っ引や役人たちに肥え樽をぶちまける場面がありました。私は小学校低学年の頃、冬の田で草野球のボールを追いかけて、たまたまあった肥溜(肥えを薄めるための保存瓶)にずっぼりと足を踏み入れたことがありました。
あまりの臭さに泣いて帰った事を覚えています。コレをやらかすと当分周囲の子供らになじられることになります。
帰宅しても母親は家に入れてくれませんし、寒い思いもしました。
あの手の映画が新鮮に見えますね。「婆(ばばあ)婆(ばばあ)」と口汚く罵るところなど、「聞きづらい とんでもない」などというクレームを畏れるところなどおくびにも感じることなく発して、それでいて嫌味が無い人情ドラマでもありました。
面白いと思ったのは隠亡(おんぼ)役に渥美清がいて、焼き加減を聞くところです。
間抜けた兄(ハナ肇)と出来過ぎた妹(倍賞千恵子)という設定も寅さんシリーズを彷彿とさせるところがあります。
オチは五万石の御妾として見初められた妹の見合いに同行した兄が酔っぱらって暴れて破談になりますが、周囲が落胆する中、妹の本意は「肥え汲み屋」の息子の方にあって、カネより愛情をとるという人情語り。最後に祝言をあげるシーンで終わります。
想像を絶する貧乏の中、結婚相手として「大名か肥え汲み屋」かの選択があってそこで「肥え汲み屋」が勝ってしまうというのが面白いところ。
肥え汲み屋の台詞「最近は肥えが薄くなった」は、世の中の景気が悪くなったということですね。
画像①は滋賀県内某所の踏切を台車で横断する「肥え汲み屋」さんの図。昭和35年のものですから、半世紀前のもの。
そんなに大昔の話ではないということでもあります。
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くりくり (月曜日, 19 10月 2015 22:04)
土壌改良について思うことです
牧之原開墾小史など読んでみますと、近世以前に開拓が進まなかったのは、水の便の悪さでもなく、砂利の多さでもなく、土壌そのものが強酸性の赤黄色土で作物が実らなかったことのようです。当時の百姓がそんなことは知る術もなく、なけしの麦などがただ枯れていくのを見ている他なかったそうですね。明治以後、前出の報徳社なども知識を収集した結果、牧之原の土壌は強酸性中和の必要性が分かったそうです。そこで注目されたのが、相良の女神山、男神山の石灰ですね。、今でこそ学術的に貴重ではありますが、最も理にかなった土壌改良材で、しかも目と鼻の先に大量にありますから。昔と比べて女神山などの景観は1/3以下の規模になり、崩落の危険があるのは心が痛みます。しかし、、某油田のように過酷な労務管理が行われたわけでもなく、地域産業立ち上げの基盤になったと思うとまあ良かったか思う次第です。
今井一光 (火曜日, 20 10月 2015 07:47)
ありがとうございます。
土壌の強酸性というお話を聞くと元々の土地そのものの性質もそうであったのかと
思うところがありますが、農家の「収穫高を左右するものは施肥の多少にかかわる」という
思いが過剰にあり、肥料を散布し続けたという歴史があるのかもしれません。
また農協の言うがままに茶農家が肥料を購入し指示されるままに散布したことによって
土壌や下流井戸水、田園等の硝酸性窒素濃度が増えて、強酸性となったのはうなづけるところです。
約100年程度前までは当地でも井戸水を使用するのは当たり前ですが、井戸水使用者に原因不明の病気が出たりして現在は使用禁止のお達しとなっています。
そんな中、田畑の耕作のために石灰を使用するという知識は目からうろこだったことと思います。石灰山は現在は代替品の普及によって荒れるがままになっていますね。その石質の脆さにより地震がくるたびに崩れているようです。