栗きんとんの季節  中津川  苗木城

中山道の宿場町、中津川は「栗きんとん」発祥の地だそうです。

ブログで記した「人体解剖」の発祥、「すぎたるもの二つあり」の発祥に続いての初物シリーズ。

先日は当地の栗拾いの山に出向いて、栗拾いをせずに棚店に並んでいる栗を買ってきたのではありますが、やはり名のある産地のものと比べれば味が及ばないところは仕方ないところ。

やはり栗と言えば丹波が思い浮かびますが、山深い場所の方がやはり味は良さそう。

子供の頃から「上等なおやつ」のイメージが高かった甘栗なども私はよ購入しますが、秋の新栗の一味違う美味しさは格別です。

甘栗の産地といえば中国は「天津」。今年の天津という地はまったく信用のできない状況だけにそちらを産地とする食品は遠慮したくなってしまいます。あの大爆発で汚染物質が撹拌されているとの推測です。

まぁコレは私の勝手な判断ですが、信用は大切ですからね。

情報発信と事件究明の発信不足がその不審を招いています。

また国産品の良さですね。京都の八百屋を先日も覗き込みましたが、興味本位で眺めたマツタケの価格など日本産の5万円に対して中国産は2000円。こうなると決して「同じようなもの」とは言えませんね。


昨日はご夫婦で日帰りで向かったという中津川のお土産のおすそ分けを頂戴いたしました。この栗きんとんは正月で出回るようなシロップ漬けのゴツゴツ感の栗ではなくて、甘さ控えめで上品なお茶うけに仕立てています。

この栗きんとんをまじまじ眺めて、そういえば中津川に城があったな・・・などと思いつき、それを記そうと思い立ちました。


以前、苗木城は岩村城と対で訪れる予定の城でしたが、あの時、岩村城の麓の岩村酒造に「奥の墓道」とブラリと入ったことから予定を急きょ変更して帰路についたことを思いだします。

すすめられた甘酒をノンアルコールだろうと決めつけて気軽に飲んだことから体調が急変したのでした。

私の体はアルコールセンサーとニコチンセンサー両方を供え持っていて、どちらか微量であっても摂取、吸引すればたちどころにのた打ち回るような頭痛と吐き気に襲われます。


コレは少々大袈裟であろうと呆れられる方もいらっしゃるかと思いますが、墓道はこのことを「墓参りの崇り」と言っています。彼が休憩時間にたっぷりとニコチンを摂取したあとに車に乗り込めば同空間にいる私もそれを吸い込むことになりますが、彼はその理由と責任を逸らすためにその「崇り」の方を誇張して決めつけます。

私が墓石を愛でるように触れる様子を見てそう言うのでした。


岩村から尻尾を巻いて帰宅した(冬の陣)その年の夏に岩村の地を再訪し、あの時の目的地であった中津川の苗木城に向かいました。画像はその際のもの。

苗木城も圧巻のロケーションです。遠州あたりの城好きでしたら浜松から長篠経由でこの二つの城を味合うのは結構「城通」の部類でしょうね。


苗木は岩村城同様(場所はここ)、遠山金さんお馴染みの遠山家の城でした。

本能寺後、徳川に近づいていたところに豊臣配下となった森長可に城を落されたのち徳川配下でチャンスを待った(関ヶ原の東軍として参戦)結果、苗木城への復帰が叶いその系統は明治まで続きます。


ただしこの藩は財政窮乏の藩としても知られています。

僅か一万石で城持ちというのは苗木藩だけしかなかったそうですね。産業も木曽川の流れるような山の中、限定的だったでしょう。今では栗がお馴染みですが、たとえ当時それが大量に採取できていたとしてもそれだけで1年中の喰いブチとなりうるわけがありませんね。


なにより城は聞きしに勝る素晴らしい立地にあります。

石垣等遺構も残存しているのは、わざわざここから持ち出して何かの材にしようという人が現れなかったということかもしれません。

勿論天守閣などはありませんが、私の好きな城の一つです。

デカイ石を効率よく使用しています。

勿論岩村城セットがいいですね。

あの時は橋を渡る直前のお蕎麦屋さんに寄って一服、こちらから松本への色気が出てきましたが帰路が辛くなりますので諦めました。蕎麦もすこぶるおいしゅうございました。