このようなことを記すと語弊があるかと思いますが、京都大阪方面での車両での走行は特別気を使いますね。
東京都心では他府県ナンバーの登場は「田舎者が・・・の嘲笑」程度(真の田舎者の集まりが都心であり、あそここそ俄都会人というところ異論のないところですが・・・)、結構肝要と思える対応をしてくれるような気がします。
ところが京都大阪辺り、特にタクシーはキツイですね。
こっちも静岡ナンバーをぶら下げて、「間違っちゃったから許して・・・」と少々強引、確信犯的車線変更をするものなら車幅数センチに及ぶ幅寄せを覚悟しなくてはなりません。
「縄張り侵してごめんなさい」という気持ちで頭の下げっ放しです。
特に最近では祇園辺りで歩行者の当り屋の出没があるとのこと。迂闊に細い道には入れませんね。
これは大陸系のグループらしいのですが、突然車に飛び出してきて車の側面に当たって、大声で「痛い痛い」と片言で叫んだあと、仲間らしき複数に囲まれるそうです。
その場で示談にしろと強要されてから観念しておカネを出してしまうとのこと。
京都にも多様な人々が入り混じっていることはお忘れなく。
さて、六角通の難所、武信稲荷について昨日記しましたが、その直近に更生保護法人「盟親」という施設があります。
神社の方は微妙に六角通を右(北)に折れた場所になりますが、こちらはまさに六角通沿いです(場所はここ)。
詳しく記せば「特定非営利活動法人京都府就労支援事業者機構」というそうですが手っ取り早く言えば犯罪を犯した人や非行少年たちの更生(就労準備)、社会復帰のための施設です。
その施設の前身と言えばまた、語弊がありましょうが、「三条新地牢屋敷、六角獄舎」です。
起源は古く平安時代の監獄の名で各所移転ののち1700年代にこちら六角通へ。
幕末には尊王派の政治犯が収監されていて、どんどん焼けの際のドサクサで斬首された平野国臣らが収監されていた場所です。
この施設にはおりょう(楢崎龍)の父親で医師だった楢崎将作が収監されていました。
ということでおりょうはその父親の様子を窺いにこの辺りに通い、あるいはあの神社に出没し、同情した龍馬が榎の木によじ登って監獄内を覗いたということがウソか誠か神社の掲示板に記されていました。
あの榎は龍馬とおりょうの縁の木どころか、監獄内のあの時の惨状をも目撃している木でもありました。
その歴史からして、民有地としてはなりにくかった経緯があったのでしょうが、実際の監獄敷地はもっと広かったはずです。
当時は当然の如く京都でも外れに設けられたはずでしょうが、今やマンション等住宅地に囲まれています。
そして本来の罪人の処刑地はここでは無かったのですが、平野ら一連の人たち含めてかなりの人がここでも処刑されているよです。
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クリクリ (月曜日, 12 10月 2015 21:37)
あのあたりは京都でも繁華街なので
旅行で路地をふらふら歩いていたら
六角堂が突然現れたというかんじでした。
結局、土産物屋で漬物とお菓子買い求めて帰ったですけど。
今井一光 (火曜日, 13 10月 2015 01:21)
ありがとうございます。
京都の街はそのふらふらっと目的もなく歩くというのがいいものですね。
なぜかそれでいて京都滞在中は疲れが出てこないものです。
歩き慣れていない身には、こちらへ帰ってからやたらと疲れが出て
朝起きれなくなったりしますが。
先日は「菓子と漬物の土産は飽きたという生意気な指令があり、帰り際に
八百屋へ飛び込んで野菜を色々買いました。
特にこちらではお目にかかれないような大き目の枝豆がおいしかったです。