案外チャレンジャー不在  東大谷墓地最上段から

クリント・イーストウッドの初期のマカロニウェスタン、「続・夕陽のガンマン」の和名タイトルは分かりやすいながら安直な題でした。

以前はテレビで何度も再放送されていましたが、もはやこの時代、あの手のものはウケないのでしょうね。

放映の雰囲気すら感じません。

 

当時の私たち世代にとってのわくわく感ときたら最高の映画でした。台詞もかなりシャレていました。

英語のタイトルは「The Good, the Bad and the Ugly」

(善玉、悪玉、卑劣漢)で余程こちらの方が面白そうなのですがね。その前年の作品「夕陽のガンマン」の原題も「 For a Few Dollars More」で「もう数ドルのために」で邦題とはかけ離れたタイトル。原題のタイトルもしっかり確認したいものです。

 

「続・夕陽・・・」のお話。

世の中はそれぞれの「義」にのっとって南北に分かれての戦乱(南北戦争)の時代、かれらは彼らの「義」(「私利」のみ)にのっとって人を出しぬきながら人間の本性を曝します。

ある墓地の墓石に隠された金貨を3人の人物が断片的な情報を信じて集まり、探し回るシーンが印象的です。そして広大な墓地で決闘するというストーリーでした。

 

ちなみに大当たりした前前作の邦題が「荒野の用心棒」。

「A Fistful of Dollars」(一握りのドルのために)で三部作と言われる所以ですが、その映画すべて「少々のカネ」のために人が命を奪い合うというスジです。

 

さて、京都東山、東大谷、大谷祖廟の西に開けた山腹の広大な墓域があり、結構な急斜面に墓石がズラリと並んだ姿はかなりのインパクトがあります。

まるでこの墓地の中、ピンポイントで1つの墓碑名を探すという使命、あるいは金貨が埋められていたら・・・などと想像し、あるいは「凄い宝探しゲーム」が開催できるかも・・・などと不謹慎な事を思いつつ歩を進めてみました。

 

この墓園の8月15日とその前後日に開催されている「東大谷万灯会(ひがしおおたに まんとうえ)」はお盆時時期の京都の風物詩として、お馴染みのイベントとなりました。

今年もNHKの7時のニュース全国版でも紹介されていましたね。

普段は1700の閉門となって、墓域でちょっと、もたもたしていれば警備の人に声を掛けられてしまいますが、それらの日には1800〜2100まで約1万個の提灯に蝋燭の火が灯るそうです。

これも一度はお目にかかりたい風景でもあります。法座も開かれるようですし。

 

門を入ってすぐ親鸞聖人が鎮座する御堂があります。

祖廟を参拝したあとブラッとその御堂までは覗きに上がったことのある方は結構いらっしゃることと思います。

しかしそれより上の段に意味もなく、たとえ景色が良かろうと思ったとしても特に一番上の段まで上って見ようという酔狂な人はいないでしょうね。祖廟ですらかなり歩いた感のある方もおられるでしょうし。

縁者の墓がある方はともかくとして、そうはそんな気はおこらないと思います。

 

ということで、これまで幾度も来ている祖廟でありながら、この墓域の「頂上」までは一度もあがったことが無かった私は、どういう風の吹き回しかその日は天気も良かったこともあって「登攀」をチャレンジすることにしました。

 

どちらかで以前、山腹の墓地を購入した方が、あとになってから「自分が歳をとることを頭の中に入れていなかった」という談をお聞きした事がありましたが、これは「足腰が弱くなって参拝が覚束なくなる」ということですね。


最初は「いい運動に」という「足軽」の気持ちも徐々に失せ、山の墓地へのお参りの足が遠くなるというのですが、墓地を求める頃と足腰が立たない頃というのは意外に時間はかからないものですね。

この階段を昇りながら思わず余計な心配をしてしまいました。

 

26区が最上段。景色のみを楽しみにして段を上ります。

麓に数件の石材店があって画像墓石「六字」の字体はきっとそちらのどこかのオリジナルでしょう、同じものが散見できました。悪くないですね。

またコレはいいな、と思った墓碑が「弘誓恩」。正信偈からですね。

最期の4枚が1700時直前の墓地からの様子。

日没直前の西の山峰に合掌して山を降りました

こちらからは少しズレますが西大谷墓地山頂付近から阿弥陀峰辺りの東山(五条~七条)を「鳥辺山」(鳥辺野)と大雑把に「葬場―無常」の代名詞として言われていましたが、さすがカラスの住処、夕陽の照らす頃にはこの山にねぐらを求めて帰還するよう。

カラスのDNAも古来から「ずっと続いているのだなぁ」と感慨深くこの様子を傍観していました。

 

ちなみに「続・夕陽のガンマン」には夕陽を強調するシーンなど一辺も出て来なかったかと・・・。