静岡・神奈川に居てしばしば耳にする大水害の例として昭和33年9月26日~27日に伊豆半島の鼻っ先を通過して神奈川県に上陸した狩野川台風(22号)があります。
その名の通り伊豆周辺に甚大な被害をもたらした台風で、やはり停滞する秋雨前線を刺激しての雨台風。
しかし今まで私が聞いた事も無いような「877hPa」といいますので超ド級のそれが想像できます。
名前の通り、狩野川流域の被害が群を抜き、死者行方不明者の数は1,269名。その大多数が現在の伊豆市と伊豆の国市でした。
最下流の沼津でも1000戸以上の床上・床下の浸水があったそうです。
こういう話を聞くと歴史の表に現われてこない地元庶民の苦痛の数々というものを感じますね。「治水」に頭を悩まし、それに対処してきた年月です。
その狩野川は教訓が生かされたのか、強力な台風による偶発が起こらないからなのかわかりませんが、その日はとてもゆったりとしたのどかに流れる優雅さを感じました。
それは護岸工事等整備も滞りなく進められている様子がうかがえるからです。その護岸に佇めば静かで長閑な時間を楽しめることは間違いなし。川上からは涼しい風がそよいでいました。
道路も整備され、ビルの谷間から突如顔を出す空間ではありますが、住環境としてはまったく「悪くない」風とあらためて沼津の地を感心した次第です。沼津駅から徒歩で僅かな距離ですから。
違和感を抱いたのは、これだけの自然のロケーションを楽しめる都会(相良と比較して)であるにも関わらず、相良の海岸よりも人を見かけないということですね。
よってその日は連休最終日と休日ではありましたが、友人の「墓道」と「遅めの昼飯でも」と思ってぶらついてもまったく開店している店は無し。その手のお店も無し。時間の問題もありました。
ちょうど狩野川が湾曲する辺りの川っぷちの「川郭」という地の通りなどまったく人を見かけません。
川郭―かわくるわ―とは「川曲輪」で旧沼津城、それ以前の名称、三枚橋城の大手(本丸)を川沿いに囲う城割の名称ですね。
現在はこのビル群の下に埋もれている「大手町」という地がその縄張りとなるようですが、「中央公園」が本丸跡とのこと
(場所はここ)。旧東海道の真ん前ということになります。
まったく城址の面影はありませんが、付近にはかつてのそれを連想させる地名が残っていました。
城縄張りの南にあたる「リバーサイドホテル」前面には三枚橋城の石積みが復元されていますし、注意して歩くと歩道上に地下から出土したといわれる石積みの石が置かれています。
私が感動するのはホテル前のバス停の名称「上土(あげつち)」ですね。かき揚げの土塁を想像できます。
天正七年(1579)、その四年前に長篠で大敗した武田勝頼が、「海」にこだわり続けて築いた城です。その3年後に武田家は滅亡しています。
対小田原北条の出城で甲州からの後詰はもはやそれまでの勢力は期待できない状況。武田方は伊豆戸倉城(またはこちら)の落城を見て甲斐に敗走、漁夫の利は例によって徳川でした。
昼食がとれる場所はざっと歩いても見当たらず、「中央公園」出てスグのインドカレー専門店のランチを。
家庭のカレーとレトルトしか味わったことのない私にとって相当の冒険でした。
種類もたくさんあってハッキリ言ってまったくわからない(店主の片言も含め)中、「ホンジツノランチ」を二人で注文。
中辛の少し酸味のあるチキンカレーでしたがまずまずの味。
ライスで食しましたが、おすすめの「ナン」を土産にしてもらって帰宅しました。ナンは少々甘口。カレーが辛いので、そう配慮しているのかと思いました。
サラダと飲み物付でリーズナブルな価格。
特にヨーグルト系のあのドリンクは口の中を爽やかにしてくれてとてもおいしゅうございました。
「また来てね」と見送られました。
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