たれもが願ふ  厭離穢土 欣求浄土   臨時寺子屋

連日お茶の間に地獄の如き絵図が映し出されます。

天災だから・・・という気持ちと、もう少し事前に何とかならなかったのか複雑な気持ちです。

ここにきて常総市の堤防決壊については人災ではないかという指摘もでてきそう。「避難」に関しても出す方と聞く方でギャップがあったようで。

 

本来あの箇所は「無堤地域」といって自然の段丘を堤として代用していた場所だそうです。これからまともな堤防を作る策定がされていた場所のようですが、最近地権者が堤付近を削平して、構造物を建設したというような話を聞きかじりました。

 

自治体内のちょっとした行き違い温度差というものが、これほどの被害を起こし、人々に殆ど修復不能ともいうべき禍根を残すことになるなど誰が予測できたでしょう。自然と付き合って生きるということが非常に大変なことで、我ら御先祖様のそれらとの関わりの苦難をあらためて思い知らされました。

 

もしも、そこに行政の不手際があったり、どなたかに顕かな瑕疵があったのなら、訴訟問題に波及してもおかしくないかもしれませんね。失われた人命も実損質も未だ想定不可能です。

 

避難されている方々、本当に大変なことだと思います。

 

お子さんがいらっしゃって復旧と環境改善までひと頑張りするに一時的に子供たちの勉学を集中させるため、その方向をお悩みの方々へ申し上げます。

ご希望がありましたら当山でもお子さん方の受け入れの窓口を開設したいと思います。

 

~臨時寺子屋開設のおしらせ~

 

学年 小中高生

期間 当分の間

人数 5名程度 ただしそれ以上の場合は市や他のお寺さん

        (相良仏教会等)に相談する用意があります

※ 臨時転校等の手続きの交渉、代行をいたします

※ 牧之原までの交通費はご負担ください

※ 生活費は不要

※ 遠方ではございますがお気軽にご相談ください

※ ゲーム不可。穢土雑念から離れお寺の生活をしていただ

  こうと思います。

 

さて「厭離穢土 欣求浄土」はお馴染み家康の旗印。

大樹寺の登誉があの時(家康の自刃)この語を持ち出してそれを思いとどまらせたという伝承でした。

以後この4文字×2の旗を使用し続けてこの旗=家康のイメージが固まって行きました。

意は「ああこの現実こそ逃れたい できれば浄土を夢見たい」でOKだとは思いますが後世色々深読みされて高邁な家康の理想とやらをメッセージしたものと解釈する方もいらっしゃいます。

 

以前、姉川合戦図屏風で打ち捨てられた「九字の名号」=「南無不可思議光如来」を紹介いたしましたが私は家康のそれも殆ど同様の意味だと思っていますのでそう大層な意味づけは不要でしょう。

スペクタクル歴史小説の「村上水軍~」でも石山本願寺方一部門徒の旗印、「進者極楽浄土 退者無間地獄」が一種独特なプロパガンダ風のターニングポイントとして捉えられ、無謀な戦場へのきっかけとして描いていたようですが、戦場の旗印にそんな深読みはまったく必要が無いと思います。

 

「南無八幡大菩薩」等、自分たちの信じる神仏を掲げて、より勇壮な文句に仕立てて戦おうとするなど当時としては何らの不思議さを感じません。

まぁ「進者~退者~」は少々やり過ぎの感はありますが・・・。

どちらにしろ死地に自ら赴くわけですから、勝ち戦のみを想定することはむしろ自然な事でした。

そもそもこの語は「退き(のき)」についてのペナルティと脅迫を言っているのではなく、退き陣(退却)そのものが死に繋がることを言っているような・・・阿弥陀如来を信じる者にそんな脅迫観念はあるはずがないのです。

真宗には「こうすることによって阿弥陀仏より何か(功徳)が得られる」という概念(自力)は無くて「すべてのものは阿弥陀様のおかげさま」(他力)という信心ですからね。特にそこのところの理解度は今より強かったと思います。そして「生きる」ことの信念も。

 

家康の「厭離穢土 欣求浄土」もその阿弥陀の元に「参りたい」ことの表明です。

出典は恵心僧都、源信の「往生要集」でした。

源信さんは我が宗旨でも宗祖親鸞聖人が先達(「善知識」)として御師匠「ベスト7」を選んだうちの本邦第一にご指名の方。

念仏一筋と浄土の教えを後の法然さんそして当流宗祖の親鸞聖人に伝えました。

正信偈の中にも源信さんの名が出てくるくらいです。

 

要は大樹寺が浄土宗の寺ですので「なるほど」と思うところ、大樹寺の方も家康がその文字を採用したことを強調するのは当然のことだとは思いますが、徳川(三河松平)始祖である松平親氏などは時宗の坊さんだと言われていますので、当家に伝わる本尊は阿弥陀如来であったことは推測できます。

三河は一向宗繁盛の地ではありましたが、家康には反旗を翻されてこっぴどくやられたために酷く嫌われてしまいましたが、真宗と同じ阿弥陀さんの教えでした。

 

当流本堂の余間には七高僧と聖徳太子の軸が掛かっています。当山には源信が記したといわれる阿弥陀如来の軸が伝わります。

 

画像①②は七高僧の軸。源信さんは左下、その右が源空さん(法然上人)。

③が正信偈から。④は当山付弥陀如来の添書。恵心僧都、源信さんの名が(軸はこちら46番目)。

⑤が「進者~退者~」の旗、当山オリジナルです(といっても五輪塔に大の字原案はパクリ)。

⑥は姉川合戦図屏風、家康本陣の図。