エンブレム問題、ケリをつけて今一度再募集するようですね。
まったく「問題ない」の一点張りからの急転直下の白紙転換には可笑しさすら禁じ得ません。
遅きに失した感はありますが、これはいかにも予想通りでした。
晴れて?今節、競技場含め2度目の白紙撤回。
両方とも世界中にこの国への「不信」のエンブレムを貼ったが如くで、将にお恥ずかしい限りの顛末でした。
「2度ある事は3度ある」と言いますし、次は何が出るかと半ば期待したくもなってしまいます。
まぁこれから数日の見物としては近江出身で俄かに有名になったあの「国会議員くん」の弁明が残ってますが・・・。
「災難」だったのはその「問題ない」を信じて会社ロゴやポスター、名刺にあのデザインを刷りまくった企業たちでしょう。
ただしあれは自業自得、もしかすれば危機管理能力をも問われかねない無能振りとしかいいようがありませんね。
訴訟対象になっているデザインを強行に走り続けたその根拠レスの「問題ない」発言を信じ込んで協賛宣伝媒体として使用してしまったのですから。
こうなる予想がつかなかったのでしょうか。
白紙の件、私の意見など取るに足らないものですが、私ならあのレベルにまでになってしまったらまずは、訴訟を提起したデザイナーと劇場側に、使用の許諾についての条件の交渉に入りたいですね。
膝を交えてみれば結構イイ条件が出るかも知れませんし。
もしや高額な条件をつきつけられれば致し方ありませんが交渉する価値はあるでしょう。どっちがお得かです。
それともプライドを気にしてできませんか?
先方もえげつない交渉条件の提示やタカ飛車態度となれば「何だカネか!」という印象を世界に振りまくこととなりますし、そこは真摯に詫びをいれることが肝要です。非礼を謝罪し交渉することによって委員会の「非」はなく「事故」であったということと「大人の振る舞い」を世界に印象付けられるでしょう。
既に白紙決定ニュースが発せられたからにはもはや後の祭りですが・・・。
もう一つのメリットとしてはあれだけ騒がれたのであのデザインにはこれ以上「パクリ」と指摘されないということです。
世界中にたくさんの商標と権利が乱立している中、まったく「オリジナルです」を検証することはなかなか難しいということがわかりましたし・・・。
そして何より同じことで同じヘマはやらかせませんから。
まぁその「困難」についてしっかり学習していただければ成長できるのですがね・・・。
また「問題ない」と意地を張り続けた方々、責任論について今後触れられてくるでしょうがどう言い逃れて保身するのかも楽しみにしています。
御咎めなしの「まぁまぁ・・『恕』の精神で」ですか?
意地を張ってばかりで「ごめんなさい」の言えない日本人、ここにもまたぞろ居た様で・・・。未だ我が国が経済としてはまずまずながらこれが「国」としては「まだ二流」と言われる所以でしょう。
昨日記した「艱難」は昔から、「で、あるからこそあなたを立派な人間に」するということで「できればその困難や苦しみは重ねて経験すべきだ」ということを言っています。
勿論これは「一人の人間」が対象ですね。
私もブログのどこかでこの語(いかにも仏教的で坊さん好み)を紹介していますが、以前からだれもがその言葉を若い人たちに勧めていました。
黙って生きているだけで普通に困難と苦痛がやってくるというのが人生であるのはお釈迦さんが教えてくれたこと。
安楽を求めて生きることの難しさと、たとえそれが享受できたとしても一過性であり、むしろそれは人を堕落させることなのだということをも内に含んだ言葉だと思います。
これも既出ですが、良寛さんの談
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候 かしこ」
は痛烈で、私などそんな領域には依然、なり得ていませんね。
ということで昨日のブログでのボヤキに繋がっているのですが・・・。
そもそも良寛さんの御指南は「防災」「減災」の理念からは外れていますので仰ることは精神論としては充分承知できるところですが、実際問題として今まったくその意からは通じない詞でしょう。
遭難して死ぬることはしょうがない事実(御縁)として受け止めることは承知。しかし、「死んじゃっちゃあダメ」なんです。
「七転八倒して、もがきながらでも、しぶとく我武者羅に生き抜き、何としても逃げ切る」というのがその災難へ向かうポイントでしょう。私たちは「七転八倒」の人生ではありますが「七転八起」の如く「倒→起」の方で生きて行かなくてはならないというところが真宗的だと思います。ただし私にその自信が無いだけです。
さて「七・八シリーズ」でいうと標記「七難八苦」もよく耳にします。この語は「艱難辛苦」と同義、「七難」と「八苦」は
両方とも仏教の言葉から。
「七難」は仏教経典内に出てくる語で、観音経からですと
①火難②水難③羅刹難④刀杖難⑤悪鬼難⑥枷鎖難⑦怨賊難というようです。今でいう殆どの「災害」はこれで網羅できるでしょうね。なにせ解釈が広いですから。
そして「八苦」はお釈迦さんでお馴染み「四苦八苦」から。
ご存知「生・老・病・死」の4+4「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦」の=8です。
「七難八苦」をいちいちどんな困難?と記すことはありませんのでこれは「人が味わうあらゆる困難と苦痛」で通じるでしょう。
その語といえばやはり山中鹿之介幸盛。
その名が「幸盛」と「幸せ盛りだくさん!!」の意が籠められている風がまた人生の皮肉。
佐々木道誉京極系で家紋は勿論「四つ目」、出雲国の守護代(当所守護は惣領家、のちに守護)の系の尼子氏は名門戦国大名。
その家に生涯を奉げたのが鹿之助。
江戸時代になって各読み物でブレークした人でしょう。
前大河ドラマの黒田官兵衛にも描かれていました。
尼子氏同様に戦国大名化した毛利氏に圧倒されますが、家系としては国人からのし上がった毛利より尼子氏の方が上ですね。
逆に隣国で格下の毛利が飛ぶ鳥を落とす勢いで国を大きくしていく様子を見ながら悲運の憂き目を見た没落一族が尼子氏ともいえるでしょう。
その滅亡と必死に最後までその家の再興を夢見て粉骨砕身に奮戦し、最後には儚くも謀殺されたのが鹿之助でこの彼の残したといわれる言葉がいよいよ意味深になるのですね。それが
「願わくば
我に七難八苦を 与えたまえ」
です。
人生に於いて、それ(七難八苦)は逃れ難い仕方ないこととして
できれば味わうことはないよう思いつつ、もし遭遇したら自分の成長の為のステップになるだろうと、(自分を騙してでも)受け入れるべきだと心に言い聞かせいる私たちですが、彼はあえて(自らに)「与えたまえ」ですからね。
それも「願わくば」付きで・・・。
これは三日月に向かって祈念したといいます。
三日月と聞くと「宝蔵院流」や可児才蔵、を思い出しますがキレモノにはあの鋭敏そうな図は一種たまらないものがあるのでしょう。
9月で言えば満月(望)が9/28でその15日前が朔(新月)、8/13です。よって9/15あたりの月がそうかも。
そこのところよくわかりませんが・・・。
とてもすばらしい達観であるとは思いますが、この語は国民に我慢と苦難を強制させるための国のプロパガンダの如く子供たちに学校の教科書の中で発せられたものだとも言いますね。
何とも言えませんが・・・
私は山陰地方にはかつて足を踏み入れたことはありません。
勿論島根県(月山富田城)もそうですが、何故か、本当に何故かわかりませんが、山中鹿之助の墓が京都の寺町、本満寺にあります(場所はここ)。
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