山岡荘八といえば代表的長編小説に「徳川家康」があります。
逆に徳川家康を扱った小説といえば「山岡荘八」とその名が出るくらいですね。
その長編振りは、ギネスものです。
家康の生まれる以前の三河の状況からその死まで、家康の人生をフルに小説化したもので(26巻)、三者のうちで(信長・秀吉と比して)特にこれまでの「せこくてうまい立ち回りをした狸オヤジ」のイメージを一掃し、その若き時代に重ね得た苦難と三河以来の家臣団の団結があったうえでこそ天下泰平を成し遂げた人としてその日本人における家康の評価・解釈を変えたものでした。
尾張織田と駿州から遠州を嘗め尽くしさらに西へとその方向性をあからさまにしていた今川との間に挟まれた地、三河の小大名松平の当主として生まれた竹千代(家康の幼名)がその家の生き残りをかけて翻弄されながらも様々な難敵・難題を切り抜けて成長、結果的には、天下が「転がり込んだ」形にはなりましたが、それに至るまでの彼が歩んだ道のりは並の人間の紆余曲折にあらず、後を歩む者の指針として教科書の如く示唆的な表現が盛り込まれて、多くの人に愛読されました。
時折どちらかのお宅の書斎等で目にするその書籍たちの居並ぶ姿に「ああ、こちらでも・・・」と思わされることがあります。
勿論、その書は東映では「桶狭間」までの映画化(143分)がされNHK大河ドラマでも登場しています。どちらも古いものです。特に私などは映画の方は最近になってテレビ放映されたものを初めて見たほどです。
大河は1983年になって放映されましたが当時平均視聴率が余裕で30%を超えていたというから凄いの一言です。
ちなみに今年のものは過去最低を更新して13%平均。時として10%を割っていますのでさぞかしスタッフは焦り、また過去の栄光に憧れるところがあるでしょうね。
私の大河ドラマの家康は断片的な記憶しかありませんでしたが、やはり面白いのは竹千代時代ですね。
映画の方では竹千代が騙されて誘拐されるシーンは殊に印象的、付き人の家臣の子供たちが責任を取って腹を切るとところです。伏線としてその前に武士の子供として責任の取り方としての「正しい切腹の仕方」を教わっているという絵がありました。
また大河の成田三樹夫(今川義元)の台詞などかんがえさせられました。
「人を育てるに一番惨い方法は・・・早くから美食を与えること」という件ですね。なるほど子供を甘やかしていると・・・ちょっと怖い気がします。
つい我が子には「おいしいもの」を与えることが優先、それは親心と思われがちですが・・・しかしこの談、大いに納得しているところでもあります。
さて、表記は大河の方で見た小林桂樹扮する太原雪斎が臨済寺(画像)で竹千代に問う場面を見て知った言葉です。
BC.4~5の思想家「孔子」の「論語」の中ので弟子との会話形式で出ている問答を雪斎と竹千代の問答に置き換えたものでした。
その時の台詞を記すと
雪 孔子という古い聖を知っておるか?
竹 はい 論語の孔子さま。
雪 その方の弟子が「政治とは何でしょうか?」と尋ねた
時、こう応えられた。
およそ国家には「食と兵と信がなければならん」と。
すると弟子が「国家がその3つを供えられない場合にはどれ
を捨てたらよいでしょうか?」と。
「食は食べ物、兵は軍、信は人と人との信じ合いじゃ。
さて竹千代だったらどう応える?
竹 「食と兵と信」では・・・兵を捨てまする。
雪 何故じゃ
竹 人は食を捨てては生きられませぬが槍は捨てても生きられ
まする。
雪 ほほう、孔子は竹千代と同じに応えられた。兵を捨てよと。
ところが弟子はまた聞いた。残る二つのうちどうしても一
つを捨てねばならない時、どちらを捨てればよろしいでしょ
うかと。竹千代なら「食と信」どちらを捨てる?
竹 信を捨てまする。食が無ければ生きられませぬ。
雪 竹千代はひどく食にこだわるのう。尾張では腹を空かせた
覚えがあるな。
竹 はい。三之助と徳千代と腹が空くとみんな機嫌が悪く浅ま
しうなりました。
雪 して、食べ物が手に入った時、竹千代はそれをどうした?
竹 まず、三之助に食べさせました。
雪 その次は・・・
竹 竹千代が食べました。徳千代は竹千代が食べぬうちは食べ
ませぬゆえ。
雪 徳千代は竹千代が食べぬうちは食べなかったか?
竹 はい。それからは三之助も徳千代の真似をして食べませ
ぬ。それ故その次からはじめから3つにわけてまず竹千代が
とりました。
雪 それはよいことをしたのう。が、孔子はそうは応えなかっ
たぞ。
竹 すると食を捨てよと申せられたのですか?
雪 そうじゃ食と信ではまず食を捨てよと申せられた。
それは竹千代の話の中ですでにあったなぁ。徳千代は竹千
代が食べぬうちは食べなかったと申したな。
竹 はい。
雪 徳千代は何故そうしたのだろう。
竹 さあ・・・
雪 それは三之助ははじめまだ幼かったゆえ、竹千代にみんな食
べられて自分の分は無くなるかもしれん、そう思った。
ところが徳千代は、竹千代が独りで喰う人ではないと知って
いた。そういう竹千代を信じておったゆえ竹千代が食べぬ
うちは食べなかった。
そしてその次に竹千代を信じて黙っていても独りで喰う人
でないと悟ったのだ。誰かが独りで食べたら二人が飢えて
いく。人と人との間に信が無かったら、三人の命を繋ぎ得た
その食が争いの種となり、かえって三人を血みどろの戦いに
誘い込まぬものでもない。
信じ合う心というより信じ合えるが故に人間なのじゃ。
信が無かったら獣の世界。獣の世界では食があっても争い
が絶えぬゆえ生きられん。
色々考えさせる論拠ある劇中の台詞でした。
親鸞さんの「信行両座」にも似た問答、面白い場面でしたし勿論この件「今」にも通じますね。
真っ先に捨てるものは兵なのですがねぇ。余程食に困らず余裕綽々の体なのでしょう、我が国は。
上記の論は既に「食か信か」ですので将に兵は「論外」でした。
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