どこにでもある通称茶臼山 大坂冬・夏 大塚城

日本全国各所にあって耳に馴染んだその山の名、高低色々ですが、大坂四天王寺のこの山が歴史上一番に名だたるものでしょうか。こちらは山と言っても「前方後円墳の円墳上を改修した」(大塚)といわれる陣城で高さは2階建ての建物程度で登城に何らの苦も感じません(場所はここ)。

むしろさりげなくある大都会の公園内の小山で、城砦の跡を推測することなども考えられない場所です。

ただ「河底池」と呼ばれる池が堀の如くにあってその要害性らしき地形にはなってはいますが。

 

この陣城の面白さは慶長十九年(1614)の大坂冬の陣の際は攻城方の家康の本陣となり、また、翌年の夏の陣では真田信繫らの大坂城方の出城としての役割を担っているということです。

家康の場合はただ単純に背後を堀として枕を高くして休める程度の付城の感覚、真田信繫の場合は背後が大坂城であり堀を前面にして徳川方を誘ったうえに出城のサイドの馬出から迎え撃つという形をとったのでしょう。

とにかく信繫の作戦は初めから「大御所の首」1本。

信長が今川義元を討取った策の二番煎じを謀っていたことは言うまでもないことでしょうね。我慢を重ねて耐え忍び機を見て家康本陣に廻りこんで討取ろうというものでした。

 

春先のお寺のバス旅行は①「あべのハルカス」天王寺下車

②千日前下車③大阪城下車の選択肢を持ちましたが半分以上の方がこちら天王寺下車を選択していました。

その中で私と車椅子移動の方の2人だけがこちら四天王寺動物園内にある茶臼山に向かいました。

ちなみに他の方々はハルカスから四天王寺のコースを辿ったようです。私は折角の大阪ですのであの高層ビルには食指が動きませんので付き合っていただいた方には申し訳ありませんでしたが、あの時は小雨の中での強行でした。

絵図は浅野文庫所蔵の「摂津国茶臼山御陣城諸国古城之図」ウィキより。最後の5つが雨の茶臼山。