近江の布施城や観音寺城の布施丸、長浜木之本の布施など「布施」の地名については、珍しいということと、拙寺檀家さんの中にもその姓を名のる家が数件あることから、その文字ついてはつい注目してしまいます。
寺ということからもその語の語源は「施し」であってそれは切っても切れない語彙でもありました。
その地名は大阪にもありました。
たまたま東大阪の布施を地図で調べていた時、目についたのが司馬遼太郎の自宅でした。そちらはまさに司馬遼太郎が執筆活動をしていた場所で、現在は「司馬遼太郎記念財団」が博物館という形で改修して、その偉業を紹介するスペースを提供しています(場所はここ)。
住宅街の布施高校のグラウンドの裏通りにありますが、案外よそ者にはわかりずらい場所でした。
今更私ごときが偉大な「知の泉」ともいうべき作家の偉業を囃しても・・・という感がありますが、何しろ現在の様にパソコン環境が無い時代にあってその人の記憶力とデータの処理力、編集力そして調査探究力にはまったく驚かされます。
まったくもって約2万冊の書籍がズラッと並べられた11m高のの書棚への驚きも当然ながら、本当にコレだけの本たちを手に取って読破したのだろうかと、つまらないところに頭が行ってしまう我が身に苦笑い。何しろ非公開の書斎のある自宅建屋の蔵書は6万冊といいます。どういう時間の使い方ができてどう執筆がなされたのか私のお頭では想像の及ばない不可思議世界を垣間見た思いでした。
司馬遼太郎の命日の2月12日は「菜の花忌」と言いますが、司馬遼太郎自身、黄色系は勿論、花や樹木が好きだったそうで書斎の窓から見る外観は雑木林をイメージしているそうです。
私もまんざら花は嫌いではありませんし、境内も雑木林化しつつありますので「イイとこ行っている」かも知れませんね。
ただ、読書が嫌いで「物書き」にはなれそうもないということです。
さて、標記は「昭和六十一年春」とありますが、司馬遼太郎自筆の歌碑に記されていたことば。リゾート施設にあったものを移設したとあります。私は書籍の山もそうですが、庭に建つこの碑に刻まれた文言を味わいながら帰途につきました。
私は「花三千仏三千」の記述について知りませんが、「たくさんの」でいいと思います。まあ仏教経典に詳しい「福田氏」のことですから、法語出典の「三千大千世界」をイメージしたのでしょうね。
今いるこの「三千大千世界」を娑婆(シャバ)=煩悩の世界といいます。
書棚画像はパンフレットから。記念館の中は撮影不可でした。
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