田沼後に相良にやって来た代官、小島蕉園の存在は、荒れた果てた当時の人心に救いをもたらしたと思います。
その彼の人柄と善政が短期に地域の荒廃を鎮めたのは事実ですが、その死まで「蕉園渉筆」に記された項目は160。
中にはごく短めにサラッと記されたものもありますが、地元の人間でさえ知らないような伝承も含まれ、その観察力、考察力には驚かされます。何をとっても初耳であることばかりです。
歴史的資料価値としても絶品なのですが、にもかかわらずあまり地元では知られていないような。
ということでこつこつと叔父さんの力を借りて解読アップをしています。タイトルのみですが160項目はエクセルにて。
さて昨日はベンジャミンの植え替えについて記しましたが、植木について昔は変テコな伝承があったようです。
蕉園も「是流俗が傳える所 信ずるに足らざるという焉」と意に介していないようですが。
平田寺さんは当地の古刹で蕉園が没したのちの建碑等もそちらのお寺での管理になっていますが、やはり渉筆の中そのお寺についての項目は3つあります。
その第一のものに上記の言い伝えが記されています。
原文 平田寺木𥠧(稚)
平田邑汲江山寺有木𥠧朽腐者、周囲垣之、開祖龍峰
師時、日坂菊川邉有怪禽、其羽如刃、触者立死、三位某将
弓手隊射殺之、泊駅数月、三位蜜通其舎處女名菊者
去後生一児、及長託龍峰、有悪星為鬼来欲𡙸、龍峰
期以十歳、鬼題児額以十字、及期而来加一點十上曰、甞以千
歳為期、何来之早、鬼屈将厺、作偈示之、鬼不能和乃搏
之木𥠧樹々枯鬼厺至今植木𥠧不殖云、是流俗所傳
称不足信焉、現住曰翠巌好詩、頗有識見一日話及之
平田寺の若木(あるいはモクセイ)
平田邑に汲江山寺に①木𥠧(稚 おさない)くして②木犀
朽腐者有り、周囲之を垣す
開祖龍峰師の時、日坂菊川邉(辺り)に怪禽(鳥系の化け物)有り、其羽は刃のごとく触れる者は立死ぬ(立ったままに・・たちまちに) 三位某は弓手隊を将いて之を射殺す・・・(「怪禽」とは盗賊、山賊の部類か・・・)
駅(宿場)に泊まること数月
三位は其の舎の處女 名を菊という者と蜜通す
去りて後 一児が生まれる 長ずるに及び龍峰に託す
悪星有り 鬼となり来りて𡙸(奪)わんと欲す
龍峰 十歳を以て期とす 鬼は児の額に十字を以て題する
期に及びて来たり
一點を十の上に加え 甞て千歳を以て期と曰う
何んぞ之を来るに早きと 鬼は将に屈して厺(去)る
偈(うた)を作りて 之を示す
鬼は和する能わず 乃ち之(偈)を搏ち ①木は𥠧(稚)くして
②木犀樹々は枯れ 鬼は去り今に至るも
植木は①𥠧(稚)くして・・②木犀を 殖えずと云う
是流俗が傳える所 信ずるに足らざるという焉
現住翠巌と曰い詩を好む 頗る識見有り
一日(ある日)話は之に及ぶも哂(わらって)而應ぜず
さてこの段、少々オカルトチックで不思議な話です。
世間には植木は「若いうちに植えてはならない」ということが世間に流布されていたことに興味がわきますね・・・。ただしこの字はいまや使われていない(存在しない)字であくまでも推測です。木犀(モクセイ)と読めば秋に香り強く黄色の花を付けるキンモクセイ系の樹木も想像できます(ギンモクセイは白)。
田植えは当にこの地域でも終了しています。
ハウスで大切に育てた幼稲を田に植えていくのですが、植え終わればスグに水で満たしますね。その水が幼い稲を外部からのリスクから守るといいます。
古い時代は人間の命ほど儚いものは無かったわけですが、言うまでも無く、より「若い者」(特に「歳は十を迎えるまえ」)の命の短さ、不安定さ、無常の到来は顕著でした。
何時「死」―「鬼」が来ても不思議が無かったのです。
たとえば病気なども「鬼」の類です。
子どもをさらっていこうと鬼が来た際、平田寺の僧は機転を利かせて「十歳まで待て」といえば鬼は「十」の字を子の額に記します。鬼が再びやって来た時僧は「十」の上に「一」を加えて「千」とするというトリック、機転を働かせて鬼を退散させています。それに腹を立てて鬼は若い木々を枯らせたといいます。
以後若い木は植えなくなったとの伝承ですね。
ここでも蕉園は住職の趣味「詩を好む」と。
また「頗る識見有り」と評しています。
画像ユリ、最盛。ハイビスカスも併せ黄色一色。
ネコ?脈略ナシ。
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私の雑記帳 (金曜日, 02 4月 2021 10:58)
参考にさせていただきました。
https://note.com/sz2020/n/ne7bbe7a66d0c
今井一光 (金曜日, 02 4月 2021 18:59)
どうぞよろしくお願いいたします。