牧之原市でも「相良人気質とはこんなもんだろう」風の雑談を当地史跡研究会のメンバーといたしました。
結論は、武田を追いやってから家康時代の陣場設置、町割り区割りのスタートから田沼城下を経た地域性だったと。
それは一地方ながら政治と経済の中心として発達したそのステータスのもと、人々に気概、余裕(金銭的にも)が生まれて文化発信地としての役割も担うことになったのだと。
ところが産業として大きく「コレです」と自慢できるものが見当たらないのは、昔から「広く何でも」手掛けられるという「ゆったり感」があったと。
相良で身を起こすための職種としての選択肢はその他の地域に比べて豊富にあって当然それぞれのエクスパートは揃っていたのです。たまたま地元でそれらを続ける人が居なかったということから、代表的産物、技術が際立って残らなかったということでしょう。
それら地元にあった産業を他の地方育成のために技術者を養成して育てあげたこと、技術分散としての役目が大きいものがあったということです。
例をあげれば鹿児島のお茶など最たるものですね。
現在はあの地の茶葉は市町村単体の生産量では当地のそれをとうに抜き去っているでしょう。
元の茶の株といえば相良から行っていると聞きます。
まぁ茶の場合は土壌と風土と管理に質が左右されますので一概にその生産量の多少については語れませんが、此の地の茶畑の衰微の状況を見れば歯がゆい気持ちもありますね。
静岡県人は大人しく騒ぎ立てず静観し順応性が高いといわれますが、その中で特に相良人は気がイイというかお人よしの性分なのです。
憎まれるよりはイイですがね。
市場を大きく世界に向け、国内で「つまらない事を言うな」とご指摘を受けそうですが、かつての盛況からの日本製茶葉の衰退のきっかけは相良以外の産地で行ったといわれる茶葉に桑の葉を混入するなどの嵩上げ、世に言う「混入事件のはしり」による品質低下と信用低下の煽りを受けたともいいますので、あまり人のイイことばかりは言っていられないのです。みなさんそれぞれの地域で「うまいことやってやれ」と虎視眈々なのですから。
そんな中、他はそうかも知れないが私たちは違うのだという「差別」(悪い言葉ですが)意識と気概は必要でしょう。
茶の価格というものはまったくピンキリで素人目にはわかりませんが、これは鹿児島茶の向かう先は静岡であるということから分かります。低価格の品物の話ですが静岡の業社が逆輸入してそちらの茶葉をブレンドしていると聞きますね。是は法律の盲点で内容量50%を超えていれば多い方の生産地を明記できるそうです。ブランドとしては「静岡茶」は健在ですので。
極端な例を記せば51%+中国輸入緑茶49%で堂々と51の方の国内産地を主張できるということ?
まぁ静岡ブランドを傷つけることになりますので「無茶」だけはおやりになりませんように・・・
その他、キリがありませんがビタミンの発見の鈴木梅太郎氏やTDKの山﨑貞一氏らの輩出と社会貢献度は頗る高いものがありますし、缶詰保存技術の発祥も元々相良の人がやり出したと聞きます。
今、それらの技術は「当たり前」ですが、まさか相良だけで独占するワケにもいきませんでしょうが、何か「惜しい」と思うのは私だけでしょうか。まったくみみっちい話で・・・。
また先日記した鰆の菰塩の料理など今の相良で食べさせる料理屋は皆無でしょうね。だからこの相良でその火を今一度、発していただきたいのです。
もともとその「雑談」は私の「鰆の件」(またはこちら)の意見からでした。
まずは文献がある事ですし、その技術はまだ相良に伝わっていることもあって、来春に向かって牧之原市でその背中を押して盛り上げられないかとその「論拠」からの提案を持ち込みたかったからでした。
職人(魚屋さん)の負担増加ということもあり、生産レベルではいい返事はもらえていませんが、今なおその菰塩の技術が残っているということを奇跡的なチャンスと捉えて、その技術の火を消してしまわないよう町ぐるみでそれを守り、そのためにいいアイディアを出していただきたいと思います。
その際の雑談に飛び入りで参加していただいたのが相良在住の「茶手揉保存会」の方でした。
その方が仰るには、現状駿遠には昔ながらの茶の手揉みにて製茶するするグループとして八つの流派があるそうで、相良に伝承される手揉みはその中に入れられていないと。宣伝不足とアピールの仕方に問題があったよう。
明治以降駿遠の茶葉、特に牧之原の茶は超繁忙となってその技術者を輩出、特に手揉みに関してもその技術を川根等近隣地域に広げたという実績があったそうです。
にも拘わらず、現在は川根の流儀、菊川の流儀は残っていても相良のものは出ていないのは疑問であるとのこと。
ということでたくさんのその証拠(相良発祥)の文書類を拝見させていただき、これからその古文書を引っ提げて証拠をつきつけ周囲を納得させて「相良流の手揉み」を旗揚げしましょうと、話がまとまりました。
画像は先日の戴きもののカツオです。生臭坊主失礼。
かつては相良名物でしたが今は気仙沼からの直送です。
あとの2枚は鉢の中で根が膨張しすぎて葉が伸びなくなったベンジャミンを鉢から引っ張り出して地植えにした図。
ベンジャミンの地植えはおそらくあり得ない無謀(熱帯性のゴムの木の種類です)と思いますが、一か八かです。
14~5年付き合っている植物ですが、これはかつていたニッパツ本社一階ロビーの巨大ベンジャミンから挿し木したもので思い出はたくさん。
今のところ新しい薄緑色の葉が出てきています。
絶対に枯らすわけにはいきませんが作戦はこうです。
保険として数本は挿し木に回し、厳冬期は足場用鉄管パイプで囲い、ラップで周囲をグルグル巻きにして温室を作るというものです。さあどうなるか。
そして冬場に難儀する植物ばかり抱えて、今後どうなる事やら。
私が「あちら」へ行くときはこやつ等もつれて行かなくてはならないのでしょうか。
「コレも相続だ」と息子に言い張るか・・・。
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