大正七年にお国の肝煎りで出版された「蕉園伝」の後半部分(第九)は蕉園の「遠州でのくらし方」についての記述です。
昨日お知らせした通り、当方は小島蕉園の記した「蕉園渉筆」本文や後世になって記されたその注釈書の類を持ち合わせていないため(市内では竹内家・・・?)、この書籍でその内容を推測しています。
ざっとそれに目を通しただけで、ますます彼について掘り下げてあたってみたくなりますね。
実は「小島蕉園傳」なる表題の書籍は地元相良の史家、故川原崎次郎さんの手によるものがあるそうです。やはりとりつきやすそうな「新譯蕉園渉筆」と同じく、この近くでは静大図書館にはあるようですが、一般貸出は対応していないでしょうね。
叔父さんも古本屋巡りを楽しみとしていますので、朗報を待ちたいところです(その後「蕉園渉筆」は当方相良にて取得)。
蕉園は当地に着任するや、この地方において、その目に映るもの、耳にするものを漢文で書きつづったそうですが、まず相良に来ての感想は(甲州の友人に送った手紙)・・・
「野菜さへ江戸より取寄、往復之一帆を仰ぎ待申候仕合、存之外之國柄に御座候」
とのことで、その不便さに愚痴をこぼしています。
「野菜」が無かったというか手に入らなかったということでしょう。
そして自宅周囲に畑を作って日々の食卓に困らないようにし、好みの花々の植栽をしたそうですがかなりその田園趣味の生活が気に入っていたようです。
その他、この地区に山ほどある家康伝承(まず家康を助けて褒美をもらうというパターン)の一つ磐田市見付の「冷酒清兵衛」のお話など、遠州に伝わる多方面に渡り、当人が住んだ相良についての人・植物・風土等について記しています。
ブログでは相良の食の歴史について本日で3日目。
その書物の中「相良の健啖」という言葉に目が行きますね。
「健啖-けんたん」とは「好き嫌いなくよく食べること 食欲が旺盛なこと また、そのさま」とあります。
わざわざその語を記したということは「特筆すべき食文化」、それも当初は野菜系は少なかったものの多様な食べ物があったということですね。
甘藷(サツマイモ)と甘蔗(サトウキビ)は当地では元々栽培されていて、蕉園もその栽培を手掛け砂糖の収穫を得ていたようです。
昨日ブログで記したとおり、「馬鮫魚(鰆)菰塩」はじめ海産物をベースにした料理、調理法が多々あったことでしょう。
蕉園伝に食品(素材)の羅列の項がありますので、そのまま写します。
勿論、トップバッターは「鰆」馬鮫魚<ばこうぎょ>(鰆の漢名)です。
馬鮫魚(鰆) 松魚(カツオ) 香魚(アユ) 鮪 膾残魚(シラウオ)
鰻 鯉 松簟(マツタケ) 海苔 寒柿 慈姑(クワイ) 梅干し
上記「海苔」は岩海苔のことでしょうが、これも一昔前までは海岸端ではその天日干しの様子が見られたそうです。最近は殆ど見られなくなったようで。
ただし私の友人の母上が冬季に防寒着と長靴で固めて海岸(岩場)で海苔取りに出かけていることは存じています。庭先で干されたそれはまさしく美味。趣味の世界限定にて細々と続いている「美味しいモノ」ですね。
画像は塩の道のイメージと「小島蕉園伝」から。当時の文部省お墨付きの「国定教科書」販売所の製作したものです。
小島蕉園は当時、国レベルの善政のヒーローだったということがうかがえます。興味深い記述が目を惹きます。
「29」は数日前の庫裏の午後の室温。西日の直射がキツくてくらくらしました。5月中旬にこの数字。扇風機にて対応。
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