相良布と書いて「さがらめ」と読む 枯渇の影響

相良史跡調査会の総会が当山本堂にて催されました。

流れとしてはやはり「田沼」ははずせないようです。

特に今年は牧之原市制10周年事業として

 

「わがまちの殿様たち」

~なぜ家康はたびたび相良に来たのか~

というタイトルの資料展示会が企画されているとのこと。

 

期間 10月24日(土)~11月1日(日)

会場 牧之原市史料館 入館無料

そして講演会は10月25日(日) 時間未定

 

藤田覚先生~東大名誉教授(近世史)~をお招きして田沼意次を語っていただくというものです。『田沼意次 御不審を蒙ること、身に覚えなし』等著書多数

 

相良という町は田沼意次の善政による恩義からこの悲運の殿さまへの思いは広く伝承されていて、ネガティブ思考皆無。

また総会参加者お歴々の皆様方のその知識の深さには敬服しかつ私の持論、「田沼はこっちに置いといて武田と高坂発祥の武田水軍の本拠地としての売出し・・」など芥子粒級、異論など唱えるスキもなければその勇気もないくらいです。

 

さて、総会に毎度付き物の河原﨑氏によるお話の題材は「相良の物産」について。

相良は今、町おこしに「相良茶漬け」なるものを各飲食店にて考察させ、それぞれの店オリジナルの茶漬けを売り出しているようです。中にはイタリアンに「茶をぶっかけて喰う」などと言ったらブチ怒られそうですが、そりゃどうだろう?という「茶漬け」も出ているようです。ポイントは当地の塩と茶を使ったものとのこと。

 

町では相良を代表するような自慢の料理といったものはいったい何だったのか、これを掘り起こしたいという動きがあります。

歴史的にそれに触れた文献を拾い集めているのでしょうが、なかなか出て来ませんね。塩や魚や「相良布」はあくまでも素材であって料理ではありませんから。

 

素材とはいえその中に出てきたのが標記の「相良布」です。

相良布は「さがらめ」と読みますが、これは駿河湾で採取された海藻の一種です。若布と書いてワカメとあるように「布」を「め」と読みますね。

これは何も相良地区に限ったローカル用語ではありません。ハッタリだとお思いの方は「相良布」で検索してみてください。他地区においては「あらめ」「かじめ」と呼んでいます。

 

これは駿河湾が一大産地で、特に魚介以外名物として相良産物の主だったものだったようです。

ブログでも駿河湾の「磯焼け」について記していますがこの海藻類の生育不良あるいは絶滅による、他の小魚や貝類の生息域の減少がすべての原因だと言われています。

御前崎沖の埠頭整備の影響によって潮流に変化を及ぼして砂の堆積が無くなったうえ、戦後大々的に農協主導で行われた茶畑への過大施肥と農薬類が海に流れ込んだ影響だと言われています。

 

皮肉にも後者は茶農家減少によって解消に向かうのではないかという説もあります。当時は「徒歩(かち)どり」と「舟どり」という収穫方法があったそうですが、相良布の生育環境となる良好な遠浅の海が復活しそうにもありませんので江戸から昭和にかけての相良布の繁盛はもはや見ることはできないでしょう。

 

参考史料

①明治三年の平田村と坂井村の願い書(ねがいがき)

「乍恐以書付奉願上候」

「従来當国産物相良和布ト相唱旧領主田沼玄蕃頭様~」に相良布の記述あり。

②それら海産物の送り先に「山形屋」の判が。

③廻船問屋の名、最後の「小田善衛門」が拙寺檀家小田一流の御先祖さま。当時の「茶」の生産量はかなり少なかったはずで周辺地域にて生産された茶を相良湊経由で江戸へ送ったのでしょう。

④は副会長の中村先生らが著した書籍。会員全員に配布されました。