ますますこの国の人口が減っているようですね。
その手のレベルの事は人の生老病死と同じで、私がいくら考えたとしてもどうにもならないことですので、ただ傍観しているしかないのですが、この件への危惧はそもそも今に始まった事ではなく、もうずっと以前から指摘されていたことです。
この事は社会と人々の意思などの方向がたまたまそのような結果に繋がっているのだとは思いますが、これこそ「政治」の責任だと思います。
政治屋の姿を見ていると彼らの指向というものは大概「次の自分の立ち位置」です。
傾向としてはどうやって再選されるか、どう強い者の下に付くか、どう出世して故郷に錦を飾るか、そしてどうカネを集めるかだと思いますが、一言で言って「今」あるいは「直近の未来」のみしか見ないという傾向でしょう。
本来、「政」(まつりごと)をあずかる身の者はやはり「民」への奉仕を心掛け、直近ではなく10年20年スパン以上の将来について考えるべきですね。
そういう意味ではワケのわからん党利党略的、意味が理解しにくい小事を上から目線の「自我・意地」を以て進めようとする姿しか見えてきません。
今の国会議事堂はお化け屋敷の類、徒党を組んだ魑魅魍魎の跋扈の如くでしょう。
以下は子供の日に総務省が発表した4月1日現在の数字ですが
15歳未満の子どもの数は1617万人で、前年より16万人の減で過去最低。コレは34年連続の減少です。全人口に占める子どもの割合は12.7%でコレも41年連続の低下です。
この数字を見て危機感を抱かず野放図に放置していたというのが国会議事堂の諸氏ということがわかります。真面目に思案せず、手をこまねいて放置しているとしかいいようがありません。彼らはこの事を傍観していてはいけない筈だったのですが。
ニュースからの数値のピックアップを続ければ・・・
「男女別でいうと男子が828万人、女子が788万人で、男子が40万人オーバー。年齢別は、0~2歳309万人・3~5歳315万人・6~8歳321万人・9~11歳325万人・12~14歳347万人で、年齢が低いほど数が少なくなる。
子どもの人口の割合は、65歳以上人口の割合の26.4%の半分以下。統計を取り始めた1950年の35.4%から下がり続け、第2次ベビーブームの71~74年わずかに上昇に転じたが、75年から連続して低下している。前年比、子どもが増えたのは東京都のみ。」
徐々に少なくなったということ。それを止めるための努力を怠っていたということでしょう。きっと抑えるチャンスはあったはず。日本は人口4千万人以上ある30カ国のうちの最低でした。ドン底ですね。
抜本的な改善策を打ち出さないこの国、いよいよ「人が居ない」ということになります。
まぁ偉い人たちは「わかっちゃいない」でしょうがね。
憲法をいじくって戦争ができる国にしたとしてもそのことを主張される根本の論理「国民の財産と生命」そのものもなくなって、残ったそれを守ろうと集めんがために呼びかけたとして人はもはや居ないということになるのですが、そのあたり「よくご理解いただけ」ていないようで。
そもそも戦争に行きたいと思う子もいないのではと思います。
先日の法要で集まった数件の家族の家庭内事情を聞く機会がありましたが、どの家庭も独身の適齢期を過ぎつつある男女がまたぞろ。
以前から田舎では男性過多の影響で男子の既婚率が少なくなっているのかと思っていましたが最近は女子がそもそも「結婚を望まない」傾向があるということ。
母が娘に「結婚はどうするの?」と問えば
娘は母に「それじゃあお母さん、結婚に何か得るものがあった?振り返ってみて楽しい思いをしたの?」「面倒くさいじゃん」
との返答に母は応答できなかったと溜息。
養育への価値はペットに向けて解消だそうです。牧之原市はじめ静岡の人口減少も顕著です。
「ご縁」とはいいながら、お寺でも何とかしたいと思考しましたが、もはや手出し無用。「どうにでもなれ」の気分です。
やはり傍観しているのみしかないような・・・。
参拝のない、供花、線香があげられない墓石が増えるばかりの墓地を見て、空しさを感じます。
さて、昨日お知らせした「殺すなかれ」は仏の教えのひとつで「不殺生戒」といいます。他の四つの「やっちゃあダメ」の「法」と併せて「五戒」と言います。
「五戒」の語は蓮如さんのお文「二帖の七」(易往而無人~たれも居ない)の冒頭に出てきます。この御文は拙寺の法要でよく拝読していますが、特に「ただし~」から続く言葉が私のお気に入りです。
冒頭は
「静かにおもんみれば それ人間界の生を受くることは
まことに五戒をたもてる 功力によりてなり これおほきにまれなることぞかし」
「ただし 人界の生はわづかに一旦の浮生なり 後生は永生の楽果なり たとひまた栄華にほこり 栄耀にあまるといふとも 盛者必衰会者定離のならひなれば ひさしくたもつべきにあらず」
です。
そこで「安心」の必要性。それが
「なにの造作もなく一心一向に如来をたのみまゐらする
信心ひとつにて 極楽に往生すべし」なのでした。
そのことが標記「Amita Kuriki Buddhist 48願」です。
勿論私の言葉遊びです。
「阿弥陀如来の供力によって帰命するに安心(信心)を獲ることを<門徒(当流 Buddhist )>と呼びその根拠は阿弥陀の48願である」
たまたまあの若い少女たちの集団の歌っている曲の歌詞について目にする機会がありました。あくまでも「たまたま」です。
あの学芸会風の舞台(失礼)を自分の意志で拝聴することはあり得ませんので・・
そしてここまで念を入れて記しておかないと、友人の「墓道氏」から嘲笑されてしまいます。
そのグループの楽曲のタイトルが何と今風なのです。きっと今の世相を受けてのことでしょうね。
勿論作詞はあの業界では一世を風靡するA氏で、彼女たちがその意にそって踊っているだけではありますが、意外なメッセージ発信の仕立てとなっていました。
タイトルが「僕たちは戦わない」です。スゴイですね。
私はまさしくこれは「仏意也」と思って耳を澄ませました。
歌詞はこれを歌っている「彼女たちの思い」をストレートに歌いきっているとは言い切れないものがありましたが、何と言ってもポイントはその歌詞の訴えかけるその深い思想ですね。
内容は大人が聞いたら少々恥ずかしくも思いますが、ありがちなこれまでありがちなチャラついた内容では無くて、ちょっとした感動を覚えてしまうのです。
それにしても女性の社会進出は凄い。小さい頃からの「生かされ方」が違うのでしょう、そして自立していくのですね。
突飛なヘビメタユニット、「BABYMETAL」なる本邦発信の女の子たちがいます。最初のうちは「ウソだろ?」と冷笑の部類でしたが、今や本場米国を筆頭に世界を駆け回っているとのこと。
日本からの脱出組です。さぞかし家に居て子育てに励む事など今は考えられないでしょうね。
MUSICは国境を超えて心に響きますので、彼女らはもはや平和大使ですね。仕事振りもお国の指名した御エライ方々よりドハデで効果的。
前者のその歌詞ときたらノーベル平和賞モノの歌詞です。
各自お調べください。
政治屋さんも若い子は「こんなん口づさんでま~す」ことを御理解ください。
黄色のハイビスカスが今年初めて咲きました。冬季は寝床まで引き入れて大切にしている株です。
毎年のことながら少々幸福感が「じわっ」と。
この感動がいつまで続くのか、そして私が退場したら「こやつら」もどうかなってしまうのでないのかまた気の毒にも思います。可愛い植物です。
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