天皇家の別荘から藤原道長が別荘として引き継いだ「宇治殿」をその子の藤原頼通が寺院へ改修。
最近は世界遺産認定ラッシュに沸いていますが、こちらは押しも押されもしないというか「もっともそれらしい」威風堂々たる姿を誇っています。相撲で言えばまさに「横綱クラス」です。
先日のお寺のバス旅行、京都から大阪への途中、昨年改修工事が終了した鳳凰堂をサラっと覗いてきました。新しいお化粧が完成してパッケージ取れたての姿です。
マイナー旧跡訪問の多い私の企画ですが、当流の<回向>「平等施一切」の「平等」をその院号とし、浄土三部経の中の「観無量寿経」からイメージしたのであろうと言われる「西方極楽浄土の阿弥陀如来」(仏師定朝作)を望むあの著名な庭園には浄土系寺院に関わる者として一度は顔を出しておきたいポイントでした。
ただし、こちらの今の本尊は阿弥陀如来の「平等」を冠に戴いてはいるものの、開設当初は密教系(大日思想)であり、今でいう阿弥陀仏の十八願を代表とする「弥陀の誓願」を前面に押し出した浄土思想にまでは届いていない初期のものですね。
要は阿弥陀さんであっても特別な人のみへの救いの世界だったわけですね。
しかしながら、予想通り「人多すぎ」。
鳳凰堂内部の拝観は行列、「立ち止れない」とまでは行かないまでも歩きにくくカメラを構えても被写体に色々入ってしまいます。というわけで内部拝観はパス。詳細まで見られるとは思えませんのでこちらのサイト(地図もあり)で十分です。
まあ、他人様からすれば私も大いに「お邪魔大臣」で「勝手な事をいうな」とお叱りを受けましょうが、私の寺のイメージからすれば、「礼拝」であり怒涛の如く大挙の観光には慣れていないものですから、つい不満が・・・。
通行人の途絶えるのを待って撮影した旧南門は伏見城からの移築とのこと。現存、秀吉の「薬医門」の最古だそうです。
戦国の城にはつきものの「薬医門」、各地で復元がされていますが、こちらが教科書になっているのかも知れません。
個人の趣味的にいえば、朱色ではなく「生成り」か黒漆かな・・・
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