道頓堀の道頓さんは義理がたい 大坂城に籠城 千日

千日寺(法善寺)といえば大阪おのぼりさんの私としては、テレビ等でもお馴染み、大阪人の神聖なる「飛び込み場」、道頓堀周辺ワンダーランドを歩かないわけにはいきません。

 

ただし例のグリコの看板前の橋上でカメラを向けている集団は中国からの観光客が大多数。はしゃぎっぷりというか彼らのハイテンションぶりにはつい、立ちすくんで遠慮気味になってしまいます。

本当に日本の名だたる観光地には中国系はじめたくさんのイスラム系等東南アジアの方々が大挙して賑やかにしてくれている様子を見て「これは有り難い」ということと、平和の大切さというものをあらためて感じさせられます。

 

さて、道頓堀の名称の元は出家名「道頓」安井成安(または成安道頓)という豪商からですね。

司馬遼太郎の「けろりの道頓」をお読みの方は御存知でしょう。私は知りませんでしたが関西系テレビ放映されたそれ(同タイトル)の主役は西田敏行。

時代劇では「ステキな金縛り」、「笠原新六郎」をモデルとした「更科六兵衛」役をしていました。

タイトルの「けろり」とは、たしか道頓の眼病が「けろり」と快癒したことからそう呼ばれたとありました。キャストとしてはその語彙の感じは出ていたのだろうと思います。

 

しかし現場に行ってみて、あの運河を人足だけのあの時代にどうやって工事したのか、想像を超えていますね。私財を投じての大業と聞きますので気風のいい豪快な男だったのでしょうね。

 

秀吉との関わり経緯はその短編小説等を参照していただくとして、彼は秀吉の死後、彼への関わりと秀頼の治世に肩入れし続け、大坂夏の陣に大坂城に籠って討死します。

多くの武士たちが負け戦を察して城を退去していく中、武門の道ではない彼が敢えて城に詰めたというのが面白いところでした。

 

千日前の墓地たちが阿倍野墓地に集約されたと記しましたが、実はその千日前の名残、知る人ぞ知る、あのビックカメラの並びに残っています。地元では「アムザの隣」で通じるはず。

 

そのエリアは殆ど見落としがちとなりますが、通りから見れば「ビルでは無い、上部空間がある」ことから察しはつきます。

こちらは「松林庵 三津寺墓地」が正式名。歴としたビルの谷間にある墓園です。

そう広くはない敷地ですが、古びた墓石が各所にあって興味をそそります。大坂商人でも大店を想像できるような屋号付き(こだわり)の墓石が多いですね。お花が入っていないことから無縁さんかもと少々心配になりましたが。

 

墓石が積み上げられた合葬墓のてっぺんには色々「石」が乗っかっていて、上から威圧しているようにも。そして道頓と従兄弟の安井道卜の墓も。

安井道卜は道頓亡きあと、摂津大坂藩10万石の藩主となった松平忠明の命でその運河を完成させた功労者。また「道頓堀」の名は松平忠明によるものだそうです。

 

二人の墓石は墓地入口から入って「アムザ」に突き当るように行けばわかります。一番高く目立つ合葬墓の裏です。

墓石には

「贈従五位 安井道頓居士」「贈従五位 安井道卜居士」

バス内でこの墓の事を紹介してありましたが、皆さんまったく興味が無さそう。皆さん愛する「道頓堀」の本家本元の方たちなのですがねぇ。

訪れた方は私が車椅子で無理矢理お連れした方一人だけだったようです。

 

道頓堀沿いの遊歩道に降りるには車椅子歩行不可の箇所も①画像。降りて堀を跨ぐ橋を行き交う人が「99」としたら遊歩道を歩く人は「1」程度。

さすがにあの堀に飛び込む気にはなれないほど「にほうが如く」です。