世の慰安旅行的職場のバスツアーに、競馬場等ギャンブル場や歓楽街に特化したツアーなるものがあるそうですね。
人の趣味や趣向にケチは付けられませんし、私のそれらの傾向も他者によっては「やれやれ」感満載だとは思います。
しかし、今回の当山納骨バス遠足の付録の主題ともなったのが、先般お知らせした洛中洛外図展でした。
一様に京都を描いた図をそう呼ぶことが多いのですが、檀家さんの中にも声があがりました。
ある一つの作(屏風)をそう呼ぶのであってこれほどたくさんの作図があるとは思わなかったと。
その名は国宝の米沢市上杉博物館所有(上杉本)のものがあまりにも著名ですね。高校日本史の教科書にも、複数のそれらの存在や、時折り現代でも新しい発見があるなどということは記されていませんから洛中洛外図屏風といえばそれをイメージするのはやむを得ないでしょう。
いわゆる、日本全国に点在する名所図会的図画の京都版を屏風等に仕立てたものが多く、左右の隻の対で構成される「六曲一双形式」というスタイルがオーソドックス。
時代は応仁・文明の乱以降の京都市中が安定期に入った頃、戦国期から江戸期に至りますが、やはり興味を惹くのは戦国時代のものですね。
いずれにせよ「名所図解」であることに違いありませんので、誰でも知っているランドマークが記されていて、観賞する際は私たち「洛中洛外の素人」はどこか知っている場所を探すところから始めます。
まず大抵は御所や聚楽第あるいは二条城でしょうか。
しかし抽象的で遠近、距離感無視と作者の気まぐれ感漂う作が多く、まともに見ていたらワケわからなくなりますね。
それに・・・・やはり照明は暗く、一つ一つ繊密描写を目を凝らして説明書きを読みながら、他の拝観者の順番を気にして見ていくのは余程の時間的余裕が無くては無理だと思います。
いつもの頭痛は朝から薬のお世話になっていたため、特にセーフでした。
ちなみに国宝の上杉本とは作者が狩野永徳といわれ、天正二年に織田信長が上杉謙信に贈ったものがそれだと言われています。十三代将軍の足利義輝時代の京都絵図とのこと。
博物館は南から北への一方通行、高倉通(京都の通り名は「通り」ではなく「通」)にありますが、バス通過は無理ですので御池通りから徒歩三分です。雨が降ったら「クサクサ」するところでしたがこれも難なく行くことができました(場所はここ)。
当初自由行動であと数分の場所の六角堂と本能寺跡の散策も選択肢に入れてありましたが、全員が博物館に参りました。
もっとも六角堂はともかく本能寺跡へ行ったとしても石碑だけですし、少々距離はありますね。
一番の問題は食事でした。館内の食堂はお昼時で待ち時間あり、40人以上がバラバラに散ったため、ここでも冷や冷や、団体割引のチケットは「同時に入館」が建前だそうで、大槻さんと私は昼抜きで皆さんの集合を待ちました。お昼をまとめる事は必要だったことを痛感しました。
旅行社に依頼すると協定の場所に廻りますので時間がかかるということを嫌っていましたが、修正が必要ですね。
事前においしそうなお弁当屋を探して、車内でとるというのもいいかも知れません。
画像は図録から。③④高倉通。③前方が御池④中央が博物館。
信柱の乱立が目立ちます。電線を地中化すればすべてクリアされることですが、これらをさっさと取っ払わないと世界の笑いものになることが身に凍みてわかっていないところが痛いお役人方々のお頭なのでしょうね。こちらは薬が効きません。
また自動販売機や看板も規制が必要かもしれません。
京都の街並みに似合わないでしょうよ。
よそ者の思い付き、失礼しました。
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