粟ケ岳北回りコース県道81号 大代-倉真

「茶」マークでお馴染み東遠のランドマーク、粟ケ岳は我々牧之原台地、海側に暮らす人々に南面して雄々しく存在感を表しています。当地では各立地、方向、距離感を計るうえで大切な指標となる山で、当ブログでも位置関係が把握しやすいということで記しています。

粟ケ岳については以前にさらっと記していますが、やはり近づくとその大きさがわかります。直接登攀することは勿論、外周、特に北側山麓を円周する県道81号線(焼津・森線)は案外「距離」というものを感じます(場所はここ)。

 

今川氏親の対志戸呂城戦の陽動作戦は事前に大井川をこっそりと渡河して金谷方面から大井川西岸を上って鶴見氏の篭る城の背後、長者原に駆けあがったのですが、そのルートを単純に考えればこちら大代川沿いの道、今の81号線です。地番としては「大代―おおじろ」ですから、その読みを見て「大きな城」=粟ケ岳をイメージします。


この81号線沿いを金谷から再び掛川方面に廻りこんで南下すれば温泉で有名な倉真があります。

初めて使ったこの県道、私は軽自動車で行って大正解。

途中から林道幅員1.7mというような場所もありました。


箱根の麓で育ち箱根から大混雑の国道1号線を避けて小田原に抜けるに、仙石原から金時山、南足柄、強羅から小田原久野といった林道を駆使してショートカットをしたものですが、この林道も少々雄大さには欠けるもののそれらに負けじと十分にリスキーでした。

すれ違いが厳しいため、対向車への警戒が肝心ですが、この時は1台もすれ違う車はありませんでした。

 

途中、大代の部落にあの珍しい墓標の名を目にしましたので停車。失礼して1枚を。「孕石-はらみいし」とあります。

以前記した、孕石城にあった孕石家末裔はほぼ間違いないでしょうね。

この粟ケ岳の裏にひっそりとその名をつないでいたということでしょうか。古い墓石も並べてありました。

孕石姓が一番多いのが大代。そして島田市内に点在しています。

「孕石―原氏(相良氏と同族 藤原南家工藤氏流)」との関わり、そして島田掛川では有名な「原田」の流れなど勝手な推測も失礼。

 

粟ケ岳の「無間の鐘」、「無間の井戸」の伝承は遠州七不思議の一つと言われていますが、二人の登場人物、川井成信と大沢兵庫の諍いから始まった各説解釈入り混じった伝承です。その川井が粟ケ岳の西側住、大沢が東側、志戸呂の住であったといわれ、この山を挟んで東西の地域の人たちの仲が良くなかった事もうかがえる伝承でもあります。
粟ケ岳の真下東側の茶園を現在「東山」といいますが、こちらの深蒸し茶は牧之原の深蒸し茶のライバルとなっているようです。

東山のお茶もなかなか悪くない味に仕上がっているよう思いますが、私は海寄りの牧之原台地の日照と温暖さ、水はけのいい地形に育てられた、被覆深蒸し茶の味、特に「無量寿」は最高だと思います。

 

①の右折「大代」は川根方面からの図。

⑤航空図に「茶」印がハッキリ見えます。