家康が御殿を作った小笠山の続きです。
昨日も記しましたように、この山には遠州でも屈指の古刹が鎮座しています。
山号の法多山(はったさん)があまりにも有名(というか土産の串団子も)で、寺の正式名称、「尊永寺」を聞いて、「そんな名だったの?・・・」というくらいです。
真言宗の別格本山で、御本尊は正観世音菩薩、観音様ですね。
私の身近な観音のイメージは幼少時、鈴子さん(祖母)と母に連れられた小田原早川観音と学生時代によく行った浅草、浅草寺の観音さんですね。浅草寺は7月のほおづき市に行ったものです。
ほおづきではなく、ガラスの風鈴を購入して帰ってきました。
観音さん参りの目的はほとんど買い食いですね。何故かデカイ観音さんの寺というと出店があって賑わいます。
観音参りに付き物の語。私にはよく言われる「功徳」という言葉には少しは理解できそうですが「御利益」という言葉にはどうしても「?」が付いてしまいます。
まぁ当流との一つの「違い」でしてそこのところを深く記そうと試みれば、ややこしい事になりそうなのでやめておきましょう。
ちなみにこちらの観音さんの主たる働き?を冠にしたその名は「厄除け観音」でお土産として人気があるのが前述の串に刺された「厄除だんご」なるものでした。
当山檀家さんからもお土産として時折頂戴しています。
高野山系の山岳宗旨の「行」の祈祷は主にその「厄除」についてを目的にしていると思われます。
さすがに世の中の人々はどこかしらに「厄」というものを感じているようで、こちらの本堂で行われる祈祷の時間には本堂の一間を満座にしていました。凄いの一言でした。
厄についてあまり理解しておりませんが、その年の前後で3年間続くと境内にしるされていました。
その厄というものをどう考えるかは人それぞれでしょうが、もしそれを「病や災難」のことを言うのでしたら、それはそれは3年もあれば何かしらの「人生浮沈」の中の「沈」の部分はあるでしょうね。御釈迦様の「悟り」とはお城の「四つの門」(生老病死)を出た時からでした―「四門出遊」。
それでも人々は我が身と縁者の健康と幸福について悩み続けているようです。
以前正月3日が終わった土日あたりに高天神城側から袋井方面に抜けようとこのお寺に続く道を通りましたが、「まさに脅威的」としか言いようのない車の大渋滞に遭遇しました。その時も日本人の忍耐強さというものを感じましたね。他府県ナンバーも多かったです。
このお寺は江戸末期の火災で消失していますので私の大好きな「古そうなもの」といえば室町時代創建と言われる(但し棟札には寛永十七年-1640)の杮葺き(こけらぶき)仁王門くらいでしょうか①②。
寺そのものは聖武天皇の命によって行基が725年に創建したと言われていてかなりの古さがあるのですが今の本堂は30年ほど前に建てられたものです。
本堂までの参道や階段、献灯の石柱、新しく整備されています。古い時代の石柱の寄進者の名を調べに行った私には拍子抜けでした。門徒坊主の物見遊山でした。
⑤は黒門と鎧塀⑥は家康御手植えの松とのこと。
あと古そうなもの少々。⑨は古そうなお墓たち。これもお目当ての一つでもあります。
何処へ行っても「なんまなだぶ」ですが・・・
このお寺から南の尾根を越えれば高天神・旧大東町方面です。
この森の通過時は携帯電話の電波は届かない国有林が広がっています。その山の梅にも数輪の開花が・・・さあ、これからどんどん暖かくなりましょう。
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