少々弱りギミの体調なから横地城へ。
日曜午後は相良仏教会の新年会がありましたが、そちらはキャンセル。不覚にも風邪に負けたということです。
新年会はただ食事をしながら近況を語る程度のもので何らの体力的負担はありません。しかし声は出ていますが、鼻声で咳も出ます。
他の方に感染させても、させたと思わせる事もいけないことと出席を辞退したわけです。
そもそも「今年は風邪はひかない」と調子にのって静岡方面の繁華街をぶらついたのがいけなかったようです。
たまたま開いたエレベーターに乗りこんだら(いつもならあのような閉鎖的空間には入らない・・・)、日本語の会話ではない家族が乗り込んできて、その奥さんらしき人がゴホゴホ。
「ヤバいなぁ」と思いましたが、すでに遅し、やられたの感。
家での養生は完璧だったのでつまらない事をしたものです。
何よりあのおばさんの体内で培養されたウィルスが自分の体で悪さしていると思うと、気分の悪さ100倍です。土日は法事が入っていなかったので、大いに羽を伸ばそうと思っていましたが2日間ずっと寝床でした。
激しい頭痛は特に最近になって風邪の時はいつもそれに苦しめられます。水上スキーで頭を水面に強打した時の痛みが再発します。どこか神経にさわっているのでしょうね。
これではいけないと「逆療法」と奮起して午後から横地城行脚に。
ずっと寝ていたら腐ってきそうですし、気合いをいれてフラフラしながらも外の空気を吸いに出るというアイデアでした。
何故こちらかといえば、この城の攻城に戦勝を治めて、つい油断してしまった今川義忠がらみの一件。
帰路の塩買坂で横地の残党の矢に射抜かれて絶命したということ。その死が無ければ小田原北条五代(勿論無い!!)はじめ関東の覇権はどう転んでいたかわからなかったということ。400年近い歴史のある横地氏15代は数日の攻防で滅亡してしまったということ。・・・等でしょうか、私にとってその時の一瞬とそれぞれの割り当てられた「時間と歴史」を感じないわけにはいられません。
拙僧も同様「15代」というと徳川幕府はじめ色々「滅亡」の憂き目を見る「時間」ですね。
ちょっとした判断ミスにより、その歴史は一瞬に消え去り、消し去った勝者もタイミング次第では瞬時に消え去る。
人間社会の「栄枯は一瞬の夢」とは昔からよく言われたものです。
さて、標記「夢はかんたん」はありがちな「たまたまの勝者としてあるもの」が後輩共に激励する意「夢を追おう」的、事は難しくない『「かんたん=簡単」だから・・・ではありません。
こちらは難しい字で「邯鄲」(かんたん)と記します。
中国の戦国時代の趙(ちょう)という国の首都の名ですね。
「邯鄲の夢」とか、何でも夢の叶う枕が出てくることから「邯鄲の枕」と言われています。芥川龍之介の短編では「黄粱夢」ですね。
主人公がその枕を使って長い長い夢を見るのですが、それは人生の紆余曲折のうえ結局栄耀栄華の人生を獲得して最後に夢が覚めるというオチです。その時間というモノ、夢を見ている方としては長い人生の如くなのですが、目を覚ますと眠る前に火をかけて粟(黄粱)が未だ煮え切らないくらいの一瞬のことだったというお話。
人生の栄枯盛衰は一瞬、儚くて短いよ!!というものです。
元のお話が主人公は覚醒して故郷に帰るというものでしたが、芥川のそれは、最後に「夢だから、なお生きたい、だからこそ夢が見たい」の如くの反論をしています。私は芥川の方が現代の人間向きで「いいのかな?」と思います。
芥川の「黄粱夢」は青空文庫にあります。
超短編ですからどうぞ。
画像は横地城からの日没。17時を少し回っていました。大分日が長くなりました。境内の梅は遅め。あと少しの辛抱です。
横地は寒かったですが、殆ど無風。これから風が吹き出して気温も下がるそう。私は11日の法事に向けて風邪を治します。
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