親鸞さんの岐路 六角堂参籠と夢告

人生を振り返り、あるタイミングを機にガラッと方向性が変わって「今がある」という「その時」を、あるいは未来を予測するにこれからの人生を左右させるような事案を選択する時、人は「岐路」や「岐路に立つ」と言います。

その交差点に立ってどの途を選択するかはその時の私あるいは当事者に聞かなくてはわからないのですが、まず選択肢というものは「択一」ですのでその歩を進めなかった途については「たら・れば」であってその思量は詮無きことであります。

 

紆余曲折、長い道のりがあって「真宗」という仏教宗旨の法縁が人々の心に浸透し(立宗)、現在の如く多数の寺院、門信徒を抱く大きな教団へと成長できたのは、御開祖が大きな「方向転換」の岐路に立ち、それまでとはまったく違う方向を歩み出したキーポイントがあったことは知られています。

結果的に唯一無二の道だったということですね。

 

真宗寺院の本堂の本尊、左右御開祖と蓮如さんに加えて、七高僧そして聖徳太子の御軸が余間に掛けられているのですが、その聖徳太子は真宗寺院に必須ということは案外知られていませんね。そこのところどこかでも記していますが、お寺さんによっては「太子堂」まで設けて奉っているところもあるくらいです。

 

その聖徳太子が京都のど真ん中に建てたといわれるお寺が六角堂。20年に渡る比叡山での修行生活にもかかわらず、聖人は欲や怒りが湧き起こる自身の心に思い悩みます。

それは自然な人間の姿であるとして「当たり前」を決め込むのが今の私を含めた真宗のお坊さんですが、それは親鸞さんが「ハッキリ」させてくださったことだったのです。

修行をいくら重ねても人間の本質、心の深層までは変えられない事を。

 

此処六角堂(場所はここ)での参籠100日を経て親鸞さんは法然さんの元へ赴くことになります。親鸞さんは途に迷った時、必ず「夢告」といって判断材料とする夢を見ることになりますが、この六角堂での「夢告」こそ一番に人生を変えたと言ってもいい方向判断材料となったものです。


夢告というと不思議な縁、霊験あらたか風の人間超越を想像しますが、私はそうは思っていません。

参籠して念仏三昧ということは殆ど飲まず食わずで睡眠もロクに取れない状況となります。そういった究極的な心身のイジメ方をすれば意識が朦朧としてくることは当然でしょう。そんな中、人は潜在的にそうありたい、かつポジティブな生き方を指向するものですから、意識混濁の中、自分が崇敬している仏が「夢」の中に出てきて、その意思に従うような行動や決断を促すものだと解釈しています。


人間は究極的に追い詰められ、混迷した岐路に立たされた際、すばらしいアイデアが発案されるということはよくあることです。

要は私たちは本当に崖っぷちに立たされていないのか、その崖への落下間近、断崖の木に引っ掛かっている姿であったとしても、その自分の立ち位置(危機的状況)に気付いていないかのどちらかなのでしょう。


六角堂は通称で正式には紫雲山頂法寺。

このお寺は華道の発祥の地と言われ、御堂の後ろのビルは元池坊総務所が入ります。境内の池のほとりに小野妹子を御先祖とする僧侶の住坊があったということで「池坊」。

殆ど烏丸通り沿いといっていいほど。