山に宿る神だから山の神 三島宝光寺稲荷山

正月の視聴率ナンバー1といえば箱根駅伝。

小田原の南町、国道一号線近くに生れ育った私は、気が付いた頃から歩道に並び出て、渡された紙の旗を振ったものでした。

しばらく「無興味」の時代が続きましたが、最近になって再び正月の昼間はそちらの順位が気になるようになりました。

中でも小田原―箱根間往復は伝わる映像が知った場所ばかりで、案外その手の風景がお茶の間で見るということは楽しいものです。

そして、最近になってその登攀路の走行はいよいよその特殊性から特化したトレーニングを積んでいるだろうランナーが現われて、強烈な走りを見せています。まぁその区間で好記録を出したチームが好成績を修めることは必至ですので、一番の見どころはこちらですね。

そして、驚きとしては、まさかあの学校があの記録でブッチギリの優勝を為したこと。思いもしなかったことですが、世も変わるには変わったものです。

 

その箱根の登攀で圧倒的な走りをしたランナーを「山の神」と呼ぶのはマスコミ世界。

しかし「山の神」=「山神」に関しては各地でそれらの信仰があって本来は「民の崇敬と畏怖」から始まったものです。

一言で今風に言えば「自然に対する畏敬」で、私も山を散策している際、その石碑や祠の存在をもってに気づくことがあります。

「遠野物語」でも「山の神」の伝承を数件記していますが

「遠野には山神の塔が多くあって、そういう場所は、人がかつて山神に遭遇したり祟りを受けた地」といいます。ちなみに山の神の風体は「背が高くて顔が赤い」とのこと。

 

「人が死ねば魂は山に帰る」という土俗信仰にも関わりがあると思いますが、その山こそが里の民においての恵み(主に水源か)の源であり、生活の根本であるということが根本的崇敬の元だと思います。

山の民においても当然に、その自然世界こそが自らの生活の主体であって、後世に伝えなければならない色々な禁忌を経験則から山の神に準えて子供たちに伝承してきた姿だと思います。

 

山は一線を越えると怖い場所であったわけですね。

何がそれに障るかということは各地伝承があって色々の様ですが、たとえば「12」という数字がタブーとも聞きます。

その「12の日」に山を歩けば「倒木により下敷きになる」からだと、それはそれは恐ろしき脅しにも似た言い伝えがあって現在でも山に関わる仕事に従事している人たちの中でその日を休日にするなどを聞いています。

 

ただし、私に関していえば、まったくお構いなしで山歩きをさせていただいております。

ちなみに「背の高い赤い顔の人」といえば数多遭遇します。

京都あたりの東山山麓を歩けば欧米人とまたぞろすれ違います。蛇足ですがそれらを見て「患い」はありませんね。

 

画像は箱根の三島側からの登り口、宝光寺稲荷山からの風景と碑(場所はここ)。

こちらのお寺は明治期にこちらに来られたお寺らしいのですが、かつてこの山は墓域であったことは推定できます。

古い墓碑をどうしても目で探してしまいますが、一つだけ宝篋印塔の残欠が建っています。

脇には細長い板碑があってこれも珍しいものとの出会いでした。