滝境城周辺の散策 追記 地元の畏敬の山?

片浜の新古二つの滝境城は優劣つけがたい楽しみがあります。

前述しましたように新は武田-徳川の城で縄張りは広く、三方の要害感は特筆ものです。茶畑になっているか近くの小山城の如く鉄筋コンクリートの天守閣かの違いです。

つまらぬ意図が見えなというところと、しっかりした未来への期待(発掘調査)を考えれば0対100の差がありましょう。

 

古城の方は主郭が手つかずで残存しているようで、おそらく南北朝時代の勝間田時代の遺構を体感できるわけで何よりこちらからの富士山の眺めは絶景であることを記しました。

 

この城に関しての意見の中に、「がっかり」「つまらない」という感想をお聞きしますが、この城に着眼しないという我等地元の方向性はそれこそ「勿体無い」という気持ちでいっぱいです。

 

さて、台地から突き出した新古二つの城址のある「半島」状の地形のその間にも、今一つ突出した部位があることに気付いた方は相当の「お城好き」でいらっしゃると思います。狭い削平されていて(今は茶畑⑩)新か古あるいは両方の烽火台等の付属の曲輪だったことが想像できます。

発掘調査すれば櫓跡の一つも出てきてもおかしくない場所だと思った次第です。⑧図右側からあがって⑨左へ進みます。

土橋状の狭窄路を通って平らな場所へ進みます。

 

⑧の右に降りる道は、現在のところ倒木等荒れ果てて、通行する人影は皆無ですが、下って行けば石段⑤の敷設箇所もあってかつては人の通行もあった歴とした道ですね。

一応地図にも記されていますが、そのまま下ると150号線間近で既に道らしい道は無く⑥、所有地裏に出てしまいますので、下に降りる直前に左方向へ曲がる前に右へ下れば、釣徳寺③の墓地に出ます。

 

そちらが寺川の二俣部分です②。

砂防ダムが左右に見えます。そちらの無縁墓の塔の一画にこれは室町期だろうと思えるミニ五輪塔が二つありました。

苔の張り付きが凄くて地肌が殆ど確認できないほどでした④。

台地上での墓碑等の散逸があったことを聞いていましたので、集まるとすればこちらのお寺のはずですね。少ないような気もしますが・・・。

 

⑩はそちらからの一コマ。

⑪は崩れた墓石。と小さな祠⑫。こちらは台地上です。

 

昨日アップできなかった画像が曲輪を海方の崖を下りはじめての図⑬とその途中に出遭った朽ち果てた祠2つ⑭。そして航空画像「台地からの滝境古城の行き方」です。

 

図左の道路が平田寺の前をあがってきた道で黄色の円が補給タンク。その手前矢印を入って青い点線を行ってください。

Aが藪の入り口辺り、Bが古城主郭、Cが前述の新城との中間点にある策平地です。

 

下図について。

150号線を渡ると旧駿遠線の線路道にあたります。現在は自転車道ですが、古城正面に向かって門柱が2本建っています。

あきらかにこちら片浜の古い住民はこの城に対しての畏敬崇敬の念があったように感じます。

「頭之城記念碑」はそれら地元の古くから伝わっていた「何か」をこの城に感じざるを得ません。

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コメント: 2
  • #1

    中原 (土曜日, 15 4月 2017 15:45)

    少しですが、興味を持って読みました。

    パソコン環境でしょうからgoogle map 3D で見るとおもしろいです。
    私も、コントロールキーを押しながらマウス操作で3Dmap の使い方を知ったばかり。
    もうご存じとは思いますが。
    あしからず。

  • #2

    今井一光 (土曜日, 15 4月 2017 20:27)

    ありがとうございます。
    私も時々3Dで楽しんでいます。
    よろしかったらまた遊びにきてください。