配流先が伊豆となって、経緯あって北条家の居候と転がり込んできた源家御曹司の頼朝の一か八かの挙兵に付いて、平家を滅亡させ、数々の頼朝子飼いの御家人棟梁家を粛清、滅ぼしたのち、頼朝の血脈そのものも刈り取って鎌倉幕府を牛耳った北条家の菩提寺が願成就院(場所はここ)です。成福寺さんと真珠院さんの中間あたりです。
このお寺は北条時政が執権として権勢を振るい北条家の地位が揺るぎないものになっていたことがうかがうことができます。
標記「定額寺」は「じょうがくじ」と読みます。「定額」の意味が何を指しているのか不詳ですがいわゆる発祥は私的寺院でありながら後から「官寺」としての「格」を得た寺です。
現在の寺院は「別格」の割には小振りに感じますが、かつては宇治平等院クラスの塔頭伽藍がそびえていたのかも知れません。
平等院を引き合いに出すのは「願成就」という名の通り本尊を阿弥陀如来として、西側の守山を背に西方を背景にして参拝者は西に向かって手を合わせる構図になっているからですね。
かつては寺領もかなり広大だったそうです。
もっともそこまでの寺院造営の完成は北条時政から義時―泰時と三代かけて拡大していったとのこと。当時の武家社会の頂点に立ち国政に関与した家の発祥の地として町自体も繁栄したことでしょう。
衰退は①伊勢新九郎(伊勢宗瑞)による伊豆侵攻②秀吉による小田原征伐の前哨戦、伊豆侵攻のダブルパンチですね。
戦乱のドサクサには「寺に火をかける」ことが「マナー」であるかの如くに歴史上たくさんの寺院が燃やされている話を聞きます。
行為の反動として仏罰を煽る因果を吹聴することは当流風ではありませんが、「寺に火をつけた武将」というくくりでピックアップできれば大概は早いうちに滅んでいるような気がします。やはり私は「仏罰」を感じないわけにはいきません。
「仏罰」のイメージは高慢な「私の心」に畏怖の想いを感じさせ、上下動揺の抑止となります。
私はずっとそれで生かされてきましたし・・・そしてまたその畏怖は人生にとってイイ方向に進むことが多いのです。
ちなみに仏罰の対象はというと・・・思う事を勝手に記せば・・・
「仏の目ではなく自分のはからいのみで物事を判断する者」
でしょうか。
また仏罰とは当然の如く地獄行の切符をいただくことですね。
さらに記せば「仏の目」とは「慈愛」のフィルターがかかっているということです。
蛇足ですが仏の私たちへ勧めるその意思は「六道からの脱出」です。
そして六道の最下位からの
a①地獄<②餓鬼―③畜生―④修羅>をその反対の言葉で記せば
b①極楽<②平等―③自由―④平和>となります。
よって世の中を俯瞰し、「仏の目」(bの精神)から反しあるいはそれらを偽っている者は「地獄に堕ちる」というのが正論と解釈しています。
すべての者を救いたいという仏はそこのところどのように考えているのかわかりませんが人生には「地獄堕ち」があるから面白いといったら言い過ぎでしょうか。「地獄」は人によって何がそれなのか、またその味わいも違います。「辛い」と「幸せ」も一字違いで、僅差。
不思議な事に何故か、「その目」にそぐわない者は滅して、あるいは自壊するといのも歴史のような気がします。
今の日本のエライ人たち、どうやらほとんどの方がその切符を無料でゲットできそうですね。
ばんたび「『人の為』の善行の約束」がされますが、それこそ「偽り」であるということは古くから言われてきていますし・・
「ああ恐ろしい」と、たとえ仏教から宗旨替えしたとしても仏の目はしっかり見ていましょう。人は減ったといいますがここは仏教国日本です。
ただし仏罰は「私」を対象にしています。「私」のはからいが他者に及ぶなどと言うことはありません(呪咀-じゅそ、調伏-ちょうぶく)。「私と仏」の一対一の関係です。
私たち庶民凡夫の身は
ひたすらbの精神を以て周囲の同朋をたすけ、仏の慈愛の気持ちを「真似て」生きていければいいのです。
画像は願成就院境内、北条時政の墓。
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