三井寺(園城寺)の鬼門は淡海(琵琶湖)の向こう

最近調子づいているというか、私に言わせれば「チャラついている」次男は来年からの進学先が決まっているという余裕からかかなり「服」への趣向を強めて、「あれ買えこれ買え」と母親を騙して贅沢をしようと必死です。

 

少子化で大学は「簡単に入学OKは出すが、阿呆は留年したり卒業ができないぞ!!」と「奥の墓道」を引き合いに出して(留年した・・・)、口を酸っぱくしながら重ねて言い聞かせますが、意に介さずズボラともいえる生活をしています。

 

昨日初めてですが、「車の免許」などと言い出しました。

ついに来たかと、少し残念に思いましたが予定通り「即却下」です。

この地の高校生は進学先や就職先が決まると大抵は「教習所へGO!」というのが習いのようになっていて、彼の友人たちもかなりの頻度でその道を辿ることが多いのは私も承知していましたが、何故か次男はそのことにこれまで触れたことがありませんでした。

 

これはイイ傾向であると安堵していたところに降ってわいたようにその話。

ということで「バカもいい加減にしろ」と一蹴してその件は終了にしようとすると、しつこくも「では、何時なら・・・」と。

「卒業が決まったら」とお茶を濁しました。

ちなみに自転車を購入するということは決まっています。

だいたい1年間はバイト禁止で門限のある寮生活の中で車の免許など無意味。

そして何よりあんなものを小僧っ子に持たせていたら日々冷や冷やでたまったものじゃないですからね。枕を高くして眠ることができませんし他人様に迷惑をかけかねません。

 

相良は交通機関に恵まれないド僻地ですから自動車免許は必需品です。しかし「思慮分別」という語彙からは「まだまだ」感漂う年齢の若輩者には不安要因が充満していて利便よりリスクの方が重荷になりますね。

 

よって「服を買え」という話に持って行かれるわけで、そういえば成長期に併せて着るものが無くなったか・・・と納得させられながら財布の中身をかすめ取られるのでした。

 

自分がその場にいるときは、シャツでもスウェットでもセーターでも色味と綿100%かどうかの私の以前の選択判断を元に煩く口を出しますが結局は「あっちに行ってろ!」と外に弾き出されています。要は資金需要のみの姿です。

 

私はこの齢で何か着るもの(法衣以外)を購入する時は絶対に「綿100%」にこだわります。

最近は防寒、発汗を意識したスポーツ用の素材がたくさん出回りますが、そこのところだけは絶対なのです。

以前は「綿100%」はイイものという意識が強かったものでそれを一つ覚えで実践しているというところでしょうか。

 

さて、大津の三井寺(園城寺)、長等山周辺について何度か記していますが、三井寺そのものの鬼門除けの場所があります。

この寺の鬼門の方向といえば琵琶湖方向となりますが、琵琶湖を飛び越えた現在の守山市内。

 

守山市の金森御坊の近隣に「大門」という地名がありますが

(場所はここ)智証大師円珍が三井寺の北東のこの地に東大門を建立(貞観元年859)したことがその名称の起こりでした。

ちなみにその貞観期に今騒がれている色々な天変地異、富士山の貞観大噴火、貞観大地震、貞観大津波という「不吉」が多々あった時期です。

 

三井寺がそれらの災難に直接見舞われたかどうかは分かりませんが「鬼門」を除けたいという気持ちが起こらないわけがないほど人智を超える出来事が頻発していたようです。もっともすべての災難が鬼門除けの門を設置した後のことですが・・・。

 

この大門周辺(大門、三宅、欲賀、横江等)は古来から木綿の産地だったそうで「木綿園」と呼ばれていたという史料があります。木綿園の庄です。

「もめんえん」と書いて「ゆうその」と読むところ、何とも言えない趣がありますね。

 

延暦十八年(799)に三河の幡豆(はず)郡に「崑崙人」が漂着し、その持ち物に木綿の種子があり、彼はそれを全国に広げたそうです。この近江、三井寺鬼門にあたる大門の「木綿園」はその種子からおこったともいわれています。

当初木綿は高価で、爆発的に流布しだしたのは江戸時代になってからでしょう。

 

「崑崙人」は「こんろんじん」です。

私は神奈川からこちらに来て方言なのか何なのか、夏日焼けしてまっクロになると、相良の人は「くんろい」と言っていました。ひょっとしてこの「くんろい」「こんろい」は同源であると言ったら「類推の拡大」なのでしょうか。

 

実は「崑崙人とは黒人」のことですね。

長い年月の間には大海を漂流して日本に辿りつく黒人(アフリカ系、インド系、東南アジア系)の「黒い人」をそう呼んでいたようです。

三河に漂着した人はインド人だったといいますが・・・

 

画像は「大門」街区と当時の東大門の礎石だそうです。

看板には藤原俊成の歌が。

 

 木綿園の  ひかげの葛(かづら)

   かざしもて  楽しくもあるか  豊の明かりの

 

「ひかげの葛」深緑の神事に使う植物

「豊明(とよのあかり)の節会(季語)―神事酒宴で顔を赤らめる」

 

酒宴で女子が葛を頭に飾るそうですが、その葛に当地の綿花を準えたのかそこの葛を摘んで、酒宴を思い起こしたのでしょうか。